※5千字の長文記事になります。10分前後で読めます。
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夜が終わる前に
60番横峰寺は石鎚山の中腹ある。
標高は745m、「へんろころがし」だ。ちょっと前にここで女性遍路が道を誤って遭難事故も起きている。
昼には60番横峰寺に着くようにと3時に起床、4時に出発した。
同宿人たちはまだ夢の中。
さすがに真っ暗で、早朝というよりまだ夜が終わっていない。
田園地帯の幹線道路に出た。街灯も歩道もないのでクルマが近づくと反対車線に寄ってやり過ごした。
石鎚山系学びのフィ-ルドミュ-ジアム /愛媛新聞社/岡山健仁
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バッドコンディション
ようやく明るくなりはじめた頃、クルマのおじさんに声をかけられた。
少し話をして「横峰さんの下まで乗せてったろか?」とクルマのお接待を申し出てくれた。ありがたかったが歩き通したいので丁重にお断りをした。
とは言ったものの今朝から左足裏がひどく痛む。ヘンな所にマメができたか。2ℓのペットボトルを入れてるせいでザックも食い込む。
これから「へんろころがし」だというのに、という不安の中バッドタイミングで便意がきた。
そういえば今朝はまだ休憩を取っていない。
愛媛銀行の前のベンチに座った。が、そこは蚊の屯所だったらしくものの数分で何ヵ所も刺されてしまった。たまらず歩き出す。
ヤバめの便意
便意がグイグイきている。
公衆トイレは見当たらないし、トイレを借りれそうな店はまだ開店前だ。
遍路地図によると60番横峰寺に上がる手前、国道11号と交差するところにファミマがあるはず。
もし潰れて無くなってたらヤバい状況だ。
と、営業中の看板を出した喫茶店を見つけた。トイレ借りるついでにモーニング食おうと前まで行くとドアは鍵がかかっており中は誰もいなかった。
軽トラのおじさんが話しかけてきて、ペットボトルのお茶をお接待してくれた。
まだ冷たい。自分が飲もうと買ったばかりなんだろう。
この先にファミマがあるか尋ねてみたが、ここらへは配達で来ているらしくご存じなかった。
便意が佳境に入ってきた。
遍路道が国道11号線にぶつかるとファミマが見えた。助かった。
店先のベンチで誰か寝そべっている。
怪しい男
朝陽を避けるようにベースボールキャップを目深にかぶっている。
イシイくんじゃないのか。
近づくと帽子こそイシイくんのに似てるが、汚れてやさぐれた感じの別人だった。
近所の不良老人かあるいはプロ遍路か。
とりあえず店内レジ横にザックを置かせてもらい、トイレに直行して泰平を得る。
朝メシを買って外へ出ると、ベンチから起き上がったやさぐれ男がそこにいた。
にこりと笑みをよこしたので挨拶をした。
「今日はどこから?」と聞かれ「光明寺から」と答えると驚かれた。
この時点でまだ朝7時、光明寺からは10kmほどあるからだ。
出発は4時だったと説明し納得された。
ファミマに買い物に来ていたおばさんがヤクルトをお接待してくれた。
今日は朝からお接待が多い。
なんとなくあぶない
やさぐれ男はカワムラさんといい歳は54歳、なんと遍路を90周したそうで遍路道事情にも明るい。
今日も寝床が決まっていないボクは、この先の野宿場所について尋ねてみた。
64番前神寺の近くに野宿できる東屋があるという。
カワムラさんは野宿スポットをメモしたノートを持っていて、コピーしてやると言ってコンビニへ入って行った。代金も自分で出そうとするので慌てて20円を差し出した。
さて、とボクが出発の素振りを見せると、カワムラさんはベンチに置いていた自分のザックを取りに行った。なんと、今も歩いてるのか。
ボクと同じオスプレイのザックに手提げカバンを提げ、靴はバッタモンのクロックスという出立ち。
どうやら連れ立って歩く気らしい。
ボクはなんとなく警戒し、ザックを背負うタイミングを遅らせてみたがカワムラさんは構わず待っている。
左足裏がかなり痛みはじめ、ボクのペースは遅かったがカワムラさんはそれに合わせてくれているようだった。
カワムラさんはとにかくよく喋った。
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妙チクリンな男
「ここは前に土砂崩れがあったけど、道路沿いの弘法大師像は被害を免れて、土砂がそのギリギリを流れて行った」
「この道沿いのコカコーラの自販機整備工場はなぜか敷地内に自販機がないのや。遍路道なんやから置いときゃええのに」
「暑いな〜、やだね~、やだぴょ~ん」という具合で1人でずーっと喋ってる。
まあ成り行きに任せてみよう。
60番横峰寺の「へんろころがし」の難易度を尋ねるも「たいしたことないよ」との返答。
それよりこの先に「てんとうむし」という喫茶店がありコーヒーが美味いので寄らないかという。
店主がクルマのワーゲン好きで、実際に店内に黄色のワーゲンを展示してあるらしい。
「てんとうむし」というのはワーゲンの愛称である。残念ながらお店は閉まっていた。
カワムラさん曰く、途中の神社に荷物を置いて空身で登るのがいいという。
お堂の戸はカギがかかっておらず、そこにザックを置かせてもらった。
貴重品と納経帳はウエストポーチに入れて肩にかけた。
盗難の不安はあったが、足の痛いボクはこの案に乗っかるよりない。
舗装路では痛んだ足も、未舗装の山道では幾分マシだった。
ちょっと前にここで女性遍路の遭難事故があった話を振ってみると「道を間違うようなところじゃないよ。よっぽど考え事してたら別やけど」という。
確かに幾つかの分岐はあるが、その都度道標が出ており、1人歩きでも間違うことはないだろうなと思った。
作業小屋か何かの廃屋を指して「ボクなんかだいたいどこでも寝れるけど、ここだけは無理だナ〜」と言った。理由を尋ねると「なんとなく気持ち悪い」らしい。
それにしてもくたびれたサンダルでよく山道をスタスタ歩けるもんである。
無縁仏
道の端にたくさんの小さな石碑のようなものが立っていた。
カワムラさんはそれを見つけるたびに文字を読んでいた。
実はこれ、この土地で力尽きた遍路の墓なんだそうだ。いわゆる無縁仏。これまでにも路傍で頻繁に目にしていたが知らなかった。
「これは天保て書いてある、女の人やな」。
今はスポーツ感覚の遍路が主流だが、仏の道を歩きながら死に場所を探す人々がいたことの証し。遍路道1200年と言われてもピンと来ないがこれを見ると実際の歴史を感じる。
長年の風雨にさらされて割れたもの、倒れてしまったものも多い。
カワムラさんは倒れたものを起こしてやりながら「横峰寺でちゃんと管理してやらないかん、ようけい儲かりよんじゃきん」と言った。
時代は違えどここにいる無縁仏たちも、ボクと同じように何らかの衝動にかられて遍路道に踏み出したんだよなあと思うと感慨深い。
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やられたか!?
60番横峰寺の山門が見えてきた。すると突然カワムラさんが歩くペースを早めた。
山門をくぐるころにはほとんど走っている。
戦慄が走った。もしかしてやられたか?
クルマで下山してザックを奪う手口?貴重品や納経帳は手元にあるが、ザック、着替え、テントを取られたら先へ進めない、というより完全にテンションが下がる。
境内に入ってもカワムラさんの姿はない。今は取り乱しても仕方がない。
冷静に納経を済ませて自販機で飲み物を買った。これを飲み終えるまでに状況が変わらなければどうすればいい?
人騒がせな話
「石鎚山見えんかったー」。カワムラさんだ。
少し上がったところに星ヶ森という場所があり、晴れた日は石鎚山頂がよく見えるらしい。
「今日は晴れてるから見えると思ったんやけどなー」。
疑ったのは悪かったが、ひとこと言ってくれよという話である。
下山の途中、登ってくるイシイくんとすれ違う。
カワムラさんと一緒だったこともあり、お互いにまたどこかで会うだろうという気持ちで軽い挨拶だけで別れた。
カワムラさんの足取りは54歳と思えぬほどしっかりしており、後ろ姿は30代に見えた。
神社に戻ってザックを引き取る。
水ラーメン
東屋で休憩中、カワムラさんは水の残ったペットボトルにインスタントみそ汁の素を入れてシェイクした。
みそ汁以外にも水でインスタントラーメンも作るという。湯と違いやわらかくなるのに時間はかかるが食えるらしい。曰く「水ラーメン」。
逆転のというか突飛なというか、面白い発想である。
ボクもやってみたくなった。
まともに歩けない
左足裏の痛みが悪化しまともに歩けなくなってきた。むくみも酷くて靴がキツい。一歩ごとに激痛である。
61番香園寺を打つ。カワムラさんは納経はせず、到着するや日陰のベンチに横になった。
昨日は洗濯できていない。今日洗濯しなければ明日着るものがない。
カワムラさんにコインランドリーを尋ねたら国道11号線沿いにひとつあるという。
今朝教えてもらった64番前神寺近くの野宿地までは5kmちょっと。この足では歩けそうもない。時間はまだ早いが洗濯と別の寝床の確保を優先したい。
するとカワムラさんが「松山道の石鎚山SAへ行ってはどうか」と提案した。
ランドリーの有無は不明だが温泉があるし野宿も可能だという。
見上げると高速道路の高架と石鎚山SAが見える。果たしてあそこまで上がれるかどうか。
パンツ一丁で洗濯
とりあえずコインランドリーへ行くことにした。
海パン一丁になって今日着ていたものも全部洗濯機に放り込む。カワムラさんも付き合って待ってくれた。
国道11号を挟んだ向こう側を、昨日同宿したムラオカくんが通った。
手を振ったが「誰?」という感じで曖昧に手を振り返してきた。こっちはパンツ一丁だから無理もないか。
ランドリーの掃除にきたおばさんに、なんとなく石鎚山SAの温泉の定休日を尋ねたら今日水曜とのこと。一応スマホで調べてみたら確かにその通りだ。
64番前神寺近くの野宿地まで行くしかなくなったが、近くに湯之谷温泉があるらしい。
となると今洗濯したさらぴんの服を着るのは風呂を出てからがいい。
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電車移動で
歩くのは無理だがJRの駅が近い。電車で行こう。明日また電車で戻ってきてスタートすればいい。
カワムラさんに野宿地の詳しい場所を確認すると「老人憩いの家」の横にある東屋だという。カワムラさんはそこまで歩いて行くとのこと。
ボクは下は海パン、上半身は裸に白衣のみ羽織るという猥褻すれすれの格好で、最寄りのJR伊予小松駅から電車に乗った。
2駅先の石鎚山駅で降りて、明朝のために時刻表をチェックする。始発の5:43だと次の62番宝寿寺の納経開始までかなり待つので、6:26の便に乗るとしよう。
ダルマ on ダルマ
湯之谷温泉は鄙びたいい感じの温泉旅館だった。入浴料360円。
浴場にはタトゥーというよりオーセンティックな刺青を入れた30、40代の御仁が大勢いた。その中にずんぐりとしたダルマみたいな体型の方がおられ、背中を見ると見事な赤ダルマが入っていたのには感心してしまった。
旅館内の食堂へ行く。薄暗くて辛気臭いけどボクは好き。他に客はなし。
オムライス550円を注文し、店の人の許可を得て館内自販機の缶ビールを持ち込みした。
64番前神寺近くの東屋
湯之谷温泉を出ると激しく夕焼けしていた。
東屋を見つけられるか急に不安になってきた。カワムラさんは来ているだろうか。
道もよくわからないまま歩いていると「おーい」というカワムラさんの声がした。そこが東屋だった。
東屋内にテントを張って一息つく。
国道11号を暴走族が走っていた。カワムラさんは嫌いなようで「バカじゃきん!」を連呼して罵倒した。
明日は善根宿「萩生庵」にお世話になろうと思うとボクが言うと、カワムラさんもそうしようかなと言う。
野宿について話す。
当初、松山以降は野宿地を見つけるのは難しいだろうと思っていたが、聞けば結構あるようだ。
遍路を歩く者は、道中の出会いの中でふと弘法大師の姿を見ることがあるという。
冗談であろうがアンドウさんはボクに「あなたがお大師様に思えてきたよ」と言った。
迷いに迷って、最後の10日間ほどを野宿で行くと決めた直後にそれを導いてくれる人と出くわした。面白いものである。
もしかしたら遍路を90周してなお歩いているこの妙チクリンな男こそ、ボクにとっての弘法大師なのだろうか。