旧川之江市
親父方の田舎が愛媛県の旧川之江市(現四国中央市)にある。ボクの出生地でもある。
夏休み冬休みは川之江で過ごすのが慣例だったし、中学の一時期には川之江で生活していたこともある。
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二日酔い
頭痛と倦怠感。軽いとは言え、炎天下に二日酔いはキツい。
今日は遍路道を外れて四国中央市に立ち寄る。祖父の墓参りだ。できる限り先へ進んで電車で川之江に向かうつもりだ。
他の皆はわりとのんびりと朝を過ごしているようだ。ボクはひと足お先に出発した。
進行方向と逆に少し行ったところのコンビニに寄る。カワムラさんも付いてきた。
このまま国道11号を歩くのは嫌なので、善根宿「萩生庵」のある旧街道へ戻った。
萩生庵の前と通るとカワムラさんはそこに腰を下ろしてしまった。ムラオカくんたちと歩くつもりらしい。
祖父からのお接待
国道11号の南側に寄り添う旧街道を歩く。途中、商店街に突入したりしてなかなか楽しい。
旧街道が国道11号と合流する少し手前、後方からきたクルマがスピードを緩めた。
が、ノロノロ運転でなかなか追い越そうとしない。
なんなんだ?と思っていたら横づけして窓が開き、運転していたおじさんが1000円札を差し出した。「なんか冷たいもんでも買い」と。
慌ててサングラスを外して礼を言おうとするが、おじさんはそれを制するように窓を閉めてスーッと行ってしまった。
唖然として見送ったクルマは、国道11号の合流点で一時停止した。
ルームミラーでこっちを見ているかも知れないと思い、クルマが見えなくなるまで手を振った。
四国中央市に入ったのはその直後だった。
柄にもない話で恐縮だが、そのときは祖父が見てくれているような心持ちがしたのである。
どの駅から乗る?
JR伊予土居駅を通過。まだ行けそうだ。
赤星駅は国道11号から離れている。今日乗った駅が明日のスタート地点になるからこのロスは避けたい。次の寒川駅なら国道から近い。
寒川駅が近づく。
国道が長い下り坂になっていて、大王製紙の煙突が林立する三島の街並みが見えた。
微妙な時間だが、道は下りだし三島駅まで行ければ明朝65番三角寺へのアクセスも良い。
結局三島駅まで歩いて電車に乗り、川之江駅で下車した。
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ボクの原風景
目に映るもの全てが懐かしい。ボクという人間の原風景である。
川之江ビジネルホテルに投宿し真っ先に風呂に入る。先日からの左足裏の痛み、やはりでっかいマメができていて、裸足で歩くと擦りむいているようにヒリヒリと痛む。
シャワーを浴びてから、宿でチャリを借りた。暗くなる前に墓参りを済ませたい。
タイヤの空気が足りなかったので、チャリ屋で空気入れを借りた。ここは中学時代の友人が空気の入れすぎでパンクさせた思い出がある。
墓参り
祖父の墓所はうろ覚えだったが、子供のころの記憶というのは意外にしっかりしていて、およそ20年ぶりにも関わらず無事にたどり着けた。
酒好きの祖父ゆえ、カップ酒でも供えようと思っていたのに買うのを忘れてしまった。
そう言えばコーラ好きでもあったなと思い出し、自販機で買って供えた。
親戚の誰かが定期的に来ているのだろうか。墓所は思いのほかきれいに掃除されており、少し前に供えたであろうカップ酒があった。
とりあえず般若心経を唱えて手を合わせ、祖父に何か声をかけたように思うが覚えていない。
洗濯の苦
宿へ戻って今度は洗濯である。宿に洗濯機はなく、ランドリーはちょっと距離があるらしい。
今から手洗濯では朝までに乾かない。仕方なくランドリーへ向かう。
なかなかメシとビールにありつけない。洗濯乾燥で小一時間、ケータイいじって時間潰す以外何もできないのが辛い。
後から知ったがこのランドリー、祖父の墓所のまあまあ近くだった。先に確認しておけばよかった。
チンテイ
晩メシは「チンテイ」でラーメンと決めていた。
祖父の家は2階が住居、商店街に面した1階で「コマツヤ」という婦人服店を営んでいた。1階のそれ以外のスペースは店舗貸ししており、ボクが物心ついたころに入っていたのが「チンテイ」である。何年かして近くに店舗兼の自宅を建ててそちらへ移られ今も営業されている(2021年5月で閉業されました)。
ヤンチャでコワモテな大将によく遊んでもらった記憶があるし、息子さんのヒデ坊はボクより年上でお下がりのオモチャをよくもらった。
もちろんボクが生まれて初めて食べたラーメンはチンテイである。
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30年ぶりの
店に入ると奥さんがいた。ボクの記憶の中の奥さんと一致させるのに時間がかかった。そのくらい時間を隔てているのだ。が、間違いなくチンテイの奥さんだった。
空腹だった。メニューは決めていた。当時、好きでよく食べていた塩バターラーメンとご飯とビンビール。
食べ終えてビンビールも空になってから奥さんに声をかけた。「ここのラーメン30年ぶりに食べました。美味しかったです」。
手持ち無沙汰にテレビを見ていた奥さんは面食らったように「あ、ああ、ほんまにい」と答えた。
何事かと男性が厨房から顔を出した。以前より太られたようだが大将だった。
コマツヤのカズくん
「今回は仕事か何かで?」と奥さん。
「なえだの孫です。コマツヤの」
大将が「カズくんか?」と気づいてくれた。「そうです。覚えててくれたんですね」
「懐かしいなあ。覚えてるも何も」と思い出話になった。
「コマツヤ」の一角で「チンテイ」をオープンしたのは大将が27歳の頃だったそうだ。
息子さんのヒデ坊は競輪選手になり、今は引退して結婚してこの近所に住んでるらしい。
会計を申し出たが大将は受け取らず「訪ねてきてくれてうれしい」と男泣きした。
大将には昔のことを思うときに、また会いたいと思う人が何人かいて、ボクもその中の1人なのだと言った。
それぞれの夜明かし
スーパーで缶ビールを買って宿に戻る。
左足裏のマメを潰して、テレビのバラエティ番組を見てアホみたいに笑った。
イシイくんと現状報告をし合う。
昨日は三島までたどり着けずに手前のガストで夜明かしして、朝5時の閉店とともに出発。
65番三角寺手前の戸川公園で仮眠したあと三角寺を打ち、66番雲辺寺近くの民宿岡田に昼ごろ投宿して昼寝をしていたらしい。
ムラオカくんから連絡があった。
カワムラさんはじめ昨夜の萩生庵のメンツで、イシイくんが仮眠した戸川公園で野宿しているという。
明日は66番雲辺寺を過ぎたところにある大師堂に泊まろうという話になっているらしく、ボクが間に合いそうかと心配してくれた。
もちろん間に合わせるつもりだ。