【20日目】呑む、打つ、這う!

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気配がない

朝の支度をしていて「おや?」と思った。

隣の部屋にイシイくんの気配がない。

まだ5時だから寝ているだろうが、なんとなくそこに居る感じがしない。

気のせいかと玄関へ行くと、ボクの靴しかない。

昨日は夕立にやられたし部屋に持って上がって新聞紙でも詰めているのかも知れない。

あるいは先を越されたか。まさかなあ。

腑に落ちないまま出発した。

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現ナマ

久礼からは「そえみみず遍路道」、「大坂遍路道」、2つの遍路道があり、国道56号を避けて七子峠に至る。

ハギモリさんの案内ではどちらもバツ印。国道56号を推奨している。

「そえみみず遍路道」に面白いばあさんが出没する話を、後に出会う事情通から聞いた。

現金のお接待をするらしいのだが、その額が普通じゃないのだ。

その事情通もばあさんと出会って「お接待です」と封筒を渡されたという。

硬貨ではないから千円札かなと、開けたら3万円入っていた。

これはだめだと引き返して3万をばあさんに突っ返したらしい。

「こんなお接待はやめてくれ。遍路が狂ってしまう。1人に3万じゃなく30人に千円やればいいやろう」

ばあさんはこう返したそうだ。

「こっちは好きでやっとんじゃ。お前に文句言われる筋合いはないわ」

久礼を出るとすぐ国道56号は入り上り坂になり山あいに入っていく。

昨日のバスの運転手が言ったとおりだ。歩道も路側帯もほとんどなく危なっかしい。

四万十町と四万十市

七子峠にある「ななこ茶屋」の自販機でひとやすみし、四万十町へと下っていく。

関西人にとって四万十川のイメージは果てしなく遠い桃源郷めいた川だ。

四万十町の道路標識を見て「あれ、もう四万十川?」となった。

四万十町はその名の通り四万十川流域にあるから間違いではないが、一般的な四万十川のイメージはさらに下流の四万十市のものだろう。

知らなかった。四万十町四万十市があるのだ。

四万十市の中に四万十町があるのではなく、それぞれ独立した自治体。

隣接しておらず、間に黒潮町という別の自治体をサンドしているからさらにややこしい。

四国山地の源流から真っ直ぐ南下してきた四万十川は、太平洋まであと8kmというところで

四万十町の窪川台地に阻まれて内陸深くへ引っ込んでしまう。

さらに100kmも蛇行を続けて四万十市でようやく太平洋へ出るという数奇な運命である。

あるいは窪川台地がなければ四万十川はそこまでイケてる川ではなかったかも知れない。

コンビニでおにぎりを食っていたら雨。すぐに土砂降りになった。

ポンチョをかぶり、ナイロン袋を足に巻く。

道路は早くも冠水しクルマが派手にしぶき上げて通る。路傍のボクはアッという間にずぶ濡れだ。

これはたまらんと、クルマが近づいてくると民家の門などに隠れてやり過ごした。

次第に雨脚は弱まり、気まぐれなスコールは去った。

清々しい男

うのていで「ゆういんぐ四万十」(移転前の仁井田付近にあった頃)という道の駅みたいな施設に入った。

ここでイシイくんに会った。やはりボクより先に出発していたのだ。

明け方に虫の羽音に気づいて起きたら、部屋の中にスズメバチがいたという。

窓の外を見ると蜂の巣があった。

とりあえず大広間に避難すると目も覚めてしまい5時に出発したというのだ。

酷い話である。

昨夜のこともあり悪態をブチまけるボクを尻目に、イシイくんはさほど怒る様子もなく「ここのおにぎりうまかったですよ」と清々しく笑った。

「ゆういんぐ四万十」には地元の仁井田米を使った手作りおにぎりやニンニクの天ぷらなど魅力的なメシがたくさんあった。

コンビニで食ってしまったのが悔やまれるが、あそこで立ち止まっていなければ雨具を着けるのに苦労したはずだ。

歩行中に雨が降り始めても、路上でザックをおろして雨具を着けるのは想像してるより難しい。

日光が射しはじめた。

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遍路ハイ

ボクが前、イシイくんが後ろを歩く。

寝不足がたたったか、イシイくんのペースが上がらない。

片やボクはハイペースだ。

完全に「本日のリズム」を捕まえており、疲れも痛みもなくブーストしていた。

とても体が軽い。ランナーズハイみたいなものだろうか。時々小走りするほどだ。

イシイくんとの差が広がる。ボクが「道の駅あぐり窪川」でトイレに寄ってもまだ追い抜かれていなかった。

37番岩本寺を打つ。

ちなみにこの「打つ」というのは、その昔札所をお参りするとき自分の名前を書いた木札を柱などに打ち付けたところからきている。

高知の奥深く

札所には必ず境内を掃き清める人がいて、ボクら遍路に声をかけてくれることが多かった。

ここでも威勢のいいはちきんおばさんと話した。

トイレが建物の中にあるから靴を脱ぐのが面倒だとボクが愚痴ると、おばさんは「なにが面倒や、行ってこんかい」と喝破した。

文字にすると関西弁のようだが、イントネーションは激しく高知言葉である。

ボクは高知の奥深くに入りこんでいる。

これからその最果て、足摺岬を目指す。

次の札所は足摺岬にある38番金剛福寺だ。

距離にして約90km。最低でも3日はかかる荒野の遍路道である。

この道のりは厳しさも含めて、この旅のハイライトになるだろう。

旅は道連れ

時間は15時前。

ここ37番岩本寺の通夜堂にお世話になろうかと昨夜は話していたが、まだ打ち止めるには早い。

ボクはこの先にひとつ野宿地を知っていた。

イシイくんと歩き始める。

ここから少し山越えがある。

野宿地でメシの調達ができないことも想定して、遍路地図に載っている「いしづち」という商店に寄ってみたらauショップになっていた。

今日は午前中におにぎりを食っただけだ。

この先に商店があるだろうかと不安になる。

遍路道が国道56号をそれて山道に入る。

ゴミ処理場のような施設があり柵で囲まれていた。遍路道はその敷地内に続いている。

貼り紙に「お遍路さんは横から入って下さい」と書いてある。

門扉の鍵があいておりそこから入った。

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山道

完全な山道になった。

ブーストしたイシイくんがすごい勢いで追いついてきた。

山道を下ると国道56号線に合流した。

時間は17時。町内放送のザラついた音で「七つの子」が鳴り響く。2人押し黙って歩く。

「土佐佐賀温泉こぶしのさと」が見えてきた。ここは宿泊もできる温泉施設だ。

今日のボクらの野宿地である。

実を言うとここの情報は自信がなかった。

元の佐賀温泉が廃業しリニューアルしたらしいという細い情報だった。

旧佐賀温泉時代に敷地内で野宿をしたというブログを読んだことがあった。

実際に行ってみると情報通り真新しい「土佐佐賀温泉こぶしのさと」があり、敷地内に遍路小屋を見つけホッとした。

温泉と野宿

受付で野宿を申し出ると快諾してくれた。

ただしトイレは館内にしかなく22時閉館、翌6時開館でその間トイレは使えない。

テントを張って寝床をこしらえてから温泉に飛び込む。

ランドリーはないがレストランがあるので、風呂を出たら即ビールだ。

米豚

2人揃って「米豚のかつ玉定食」を注文した。

エサに仁井田米を食わせるので米豚といい地元の名産らしい。

ボクらはビールを呑みながら話した。

室戸岬の手前あたりからずっとイシイくんと同宿している。

一緒に行動するのは精神面、安全面でメリットがあるし、思い出を共有することにもなる。

しかしそれだけがボク、あるいはイシイくんの望んだ遍路だろうか。

道楽遍路とはいえ、独りで困難と対峙し乗り越えるということをしてみたかった。そういう状況に身をおいてみたかった。

野宿もそうだ。

基本は野宿で行こうとテントやマットを持ってきた。

それが高知に入ってからというもの、金を使って宿に泊まってばかり。

テントは足かせでしかない。

このまま行けば旅の旨みを味わわずに終わるのではないか。

観光に来たのではない。この旅はチャレンジである。理想と現実のギャップに忸怩たる思いがした。

自分の行動に言い訳はできない。1人より2人で呑む酒が美味いからとイシイくんを巻き込んでる感は否めなかった。

ボクは切り出した。

「高知に入ってからずっと一緒でしょ。ここらで別行動にしよか」

イシイくんは面食らった表情と、自分も今それを言おうとしていたのだという表情を交互に見せて、同意した。

2杯目のビールを呑み終えるころにはじいんと体が弛緩していた。

「靖国で会おう」じゃないけれど、「次は松山で呑もう」と保証のない約束をした。

それは何日後になるのだろう。

松山がひどく遠く感じる。いや実際遠い。

1万マイルはあるよな、と自虐的に夢想してみると酔いも手伝って意識が混濁した。

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