【11日目】ベンジャミンバトン!

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いつもの会話

部屋でパッキングをしているとアンドウさんがドアをノックした。

ザックを背負っている。まだ5時すぎだが出発するらしい。

「今日はどこまで?」。朝のいつもの会話。

台風の具合にもよるけど25番津照寺くらいかなと答える。

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20番鶴林寺のアタック前夜、「居酒屋ともちゃん」でアンドウさんはこう言った。

「結願にはこだわらない。旅先の出会いに乗っかって行けるところまでいく」

事実アンドウさんはボクの予定を目安にしているフシがあった。

アンドウさんは「じゃ、お先」と閉めかけたドアを止めて、「なんだかあなたがお大師様に思えてきたよ」と言いドアを閉めた。

冗談とも本気ともつかない。

ボクは追ってドアを開け、すでに階下に下りて見えなくなったアンドウさん向かって「25番津照寺しんしょうじ付近ならホテルF(仮名)が素泊まり4000円ですよー」と伝えた。今晩もそこで会いましょうと意思を込めた。

「はーい」と返事が聞こえた。

まだ小雨のようだがザックカバーを付けポンチョをかぶる。

本降りになってから雨具を身に着けるのは難儀だし、そうなるのは明らかだ。

案の定、出発したらすぐ本降りになった。

海はまったく見えず、濃霧で海側には壁があるように見えた。

景色は精彩を欠き、見えるもの全てが灰色だった。

風が出てポンチョがばたつく。濃霧の壁に稲妻が走る。

フラッシュを焚いたように一瞬海面が見える。

ややあってズドーンと轟音が響くが、時間差がほとんどない。

近い海上に落ちているのだ。

大阪で見る雷のように対岸の火事とわけが違う。

波は昨日までと比べものにならない高さだ。

飛沫の先端が国道まで達することもあった。

雨風が猛っている。

ボクは驟雨しゅううに包まれていた。

ベンジャミンバトン

稲妻の回数が増す。

と同時に落雷の轟音との時間差が1秒ほどに縮まってきた。

音速はだいたい300m/秒。

そんな近い場所に落雷していることに戦慄する。

映画「ベンジャミンバトン」に出てくる何度も雷に打たれるおじさんを思い出していた。

あまりの恐怖に沿道の電話ボックスに避難する。落雷すると電話ボックスが揺れた。

雨煙の中からイシイくんが現れた。

イシイくんに電話ボックスを譲り、ボクはまた嵐の中を歩き始めた。

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室戸岬

雨が小康状態となる。この2日間ずっと右にあった山が海に切れ込んで終わった。

室戸岬である。

ポンチョのおかげで上半身は濡れていないが、足もとは靴の中までズクズクだ。

まるで願いを叶えることができなかったてるてる坊主みたいに惨めな格好。

御厨人洞みくろどに立ち寄る。

「空海」の名の由来になった場所である。

洞内からは空と海が切り取られて見えるはずだが、この日は灰色一色だった。

さて、3日振りの札所である。

3日ぶりの札所

15分ほど山道を上り24番最御崎寺を打つ。

そういえば昨日とおとといは札所がなく、ただ歩いていただけだった。

ザックから線香や納経帳を取り出す。濡らさないよう気を使うのはストレスだ。

イシイくんが追いついてきた。

さすがに今日も野宿というわけにいかず宿の相談をする。

25番津照寺までは6.5kmで、付近には宿が数件ある。

26番金剛頂寺は山の上だし、その先にはしばらく宿がない。

25番津照寺までが妥当だろうということになった。

室戸スカイラインで海岸線まで下る。晴れていれば太平洋一望する絶景だったろうな。

座りたい

雨がやんだ。

今日はザックを下ろして座って休めてない。座りたい。

雨はやんだけど地面が乾くのにはまだ時間がかかるから座れない。

そんな当たり前のことをなぜかズッシリと痛感する。

遍路小屋か東屋があれば乾いた場所で休めるのにと思う。

仕方なく駐車場の縁石にレジャーシートを敷いて座った。

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はちきん?

津呂の漁港でちゃきちゃきのばあさんと出会った。

「どこからきた?」、「大阪からです」

「私もなー転んでから自転車はよう乗らんなったけど足腰は達者よ。元気はつらつオロナミンCーよー!」

そう言って両腕に力こぶを出すポーズをした。

かなりの高齢と見受けたが声に張りがあり本当に達者そうである。

「はちきん」とはこういう女性をいうのだろうか。

歩き出したボクの後ろから「鉄腕アトムー」と叫んでいた。

宿を探す

25番津照寺を打つ。

高台の境内からは荒れる太平洋が見えた。雨はやんだが依然波は高い。

再び追いついてきたイシイくんと宿探しに行く。。

オフィシャルの遍路地図には宿の一覧があり、連絡先はあるが宿泊費については記載がない。

何軒かあたって安いところを探してみることにした。

1軒目は素泊まり4000円。一般的な遍路宿の標準価格である。

台風の状況しだいでは連泊になるが可能か聞くと、明日はテレビの撮影クルーの団体予約があり無理だと言う。

台風は今夜からがピークだ。

傘を裏返して「立っていられませんっ」の画を茶の間に届けるためか。

連泊になって宿替えするのは面倒なので他をあたることにした。

アンドウさんに伝えていた「ホテルF(仮名)」も4000円。

もう全部聞いて回るのも面倒になりここに決めた。

連泊も可だった。無表情な女将さんの挙動が気にはなった。

何かがおかしい

すぐ風呂に入る。体はもとより心をリフレッシュしたかった。

嵐の行軍で頭も疲れている。濡れた靴には古新聞をもらって詰めた。

近所のヤマザキショップで晩メシとビールを買う。

カップ麺の湯をもらおうと宿の人に声をかけるが出てこない。

「すいませーん」

何度か呼びかけるうち、ふいにボクに向けられた視線に気づいてギョッとした。

いつの間にか女将さんがそこに立っていた。

炊事場から廊下へ、きっかり半身だけを出して、廊下に出ているほうの片目でボクを見ていた。

廊下が暗くて気が付かなかった。

女将さんは音も立てずににゅうっと半身を出し、あらぬ方向へ呼びかけるボクを黙って凝視していたのである。

背筋に冷たいものを感じた。振る舞いが妙である。

四国の「怪」

宿というのは特殊な業種だ。

見知らぬ旅人をひとつ屋根の下に寝かせるわけだ。

客はほぼ一見だから根拠のない性善説を前提にして成り立つ商売だ。

つげ義晴のエッセイには一般の旅人が近づいてはいけない裏世界の宿の記述がある。

ボクは誤ってそっち系の宿に投宿してしまったのだろうか。

隠し事に気づかれまいと女将さんは挙動不審になるのだろうか。

あるいはからくり人形が営む妖怪専用の宿なのか。

他の宿泊客から「今日は人間臭い」と苦情が出ているのか。

嵐の中、遍路のファンタジーの深いところにはまり込んだのか。

明日起きたらイシイくんと2人、信楽焼のタヌキと一緒に空き地に放り出されているのかも知れない。

遍路を歩くとわかるが、四国にはまだ「怪」が棲んでいる。

本場の台風

さて、イシイくんと酒盛り。

テレビの台風情報と地図を交互に見ながら明日の計画を練る。

ニュース速報だ。この先の吉良川町で高波が防波堤を越え、国道55号が通行止めになったらしい。

歩いていたらと思うとゾッとする。満場一致で連泊を決めた。

明日は初めての休暇ということになる。

アンドウさんはここに現れなかった。

電話をすると嵐の中26番金剛頂寺まで打って、別の宿に投宿したという。

攻めたなアンドウさん。

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