リップス&タン
朝6時。昨夜スコールを降らせた雲がまだ居座っていて空はどんよりだ。
ヤマムロさんも宿、というか「道の駅ふれあいパークみの」の雑魚寝ルームから出てきた。
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ほど近い71番弥谷寺へ。
遍路を題材にした2006年のNHKドラマ「ウォーカーズ」で原田芳雄演じる先輩遍路が持っていたストーンズの有名なベロマーク柄の納め札が、ここの参道の俳句茶屋に貼ってあると聞いていたが、さすがにまだ閉まっていて見れなかった。
71番弥谷寺までは333段の階段。朝イチでこれは堪える。
納経を済ませて竹林を下るとあっという間に72番曼陀羅寺。これから札所ラッシュだ。
グッドモーニングマダファカ
73番出釈迦寺で納経所に入り「おはようございます」と挨拶をすると、職員のおじさんは「ああ」とだけ言った。
「ああって何やねん」という意思表示で入り口で動きを止めてしばし顔を覗き込んでみたが、おじさんはシカトを決め込み、終始無言で朱印を書いてくれた。
破戒
遍路には十善戒という戒めがある。
生き物を殺さない不殺生、物を盗まない不偸盗、淫らな行為に耽らない不邪淫といったもので、そのひとつに悪い言葉を使わない不悪口というのがある。
ボクはその戒めを破り、札所に対するF××K論をぶった。カワムラさんがたいそう褒めてくれる。
遍路を90周以上歩いているカワムラさんがそのことに気づいたのは10周目くらいだったらしい。1周目でよくぞ気づいたというのだ。「札所やいうてみんなありがたがりすぎなんよ」。
四國遍路句文集 古稀…十善戒を行く /日本図書刊行会/湯橋十善
札所ラッシュ
74番甲山寺から今夜の宿の予約をした。
絶賛野宿中のボクだが、ここだけは泊まると決めていた。善根宿うたんぐらだ。一泊1000円という破格値で朝メシがうんと美味いと評判だ。
75番善通寺を打つ。広い境内は観光客で賑わっている。
金比羅山に立ち寄るというナカガワくんとヤマムロさんとはここで別れた。
カワムラさん、ムラオカくんと4km先の76番金倉寺へ。
ムラオカくんと今夜の寝床の話になる。善根宿うたんぐらの話をしたらムラオカくんも予約の電話を入れた。
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重たい地蔵
77番道隆寺の手前の民家で、遍路を待ち構えるように父子が立っていた。息子さんはボクと同い年くらいだろうか。
「道隆寺参拝の記念にどうぞ。息子が作ったんです」と小さな素焼きの地蔵を手渡してくれた。息子さんはにこにことうなずいていた。
正直困惑した。割らずに持ち帰る自信がないし、手作りの品には特有の重さがある。
が、好意を断るわけにもいかず礼を言って受け取った。
異様な光景
77番道隆寺に入ると異様な光景を目にした。
今もらった地蔵が、境内のいたる所に大量に並べられてある。
ボクと同じようにその重さに困惑した遍路が置いていったものだとすぐにわかった。
廃棄も寺の境内なら奉納に転化すると考えるのだろう。これだけあればやましさを感じることもあるまい。
よく見れば地蔵の表情はひとつひとつ違った。
俗と聖
もし四国遍路に聖性というものがあるとするならば、それは遍路道の路上にのみに存在するとボクは言った。そのような考えは少数派だ。
多くの遍路は聖性は札所に内包すると考え、だからこそしんどい思いをして札所を目指し、そうすることで自らも聖性をまとおうとする。
そして地蔵を寺に廃棄していくのはそうした多数派の遍路たちである。
むろん寺側が禁止したり迷惑しているのでなければ非難されることではない。
それにしても何も感じないのだろうか。何も考えないのだろうか。そうだとすれば札所ブランドに惑わされたハイプ遍路以外の何ものだというのか。
目では見えないもの
では彼がつくった地蔵がなんぼのものかと問われたなら、なんぼのものでもないだろう。
手先が器用でつくった地蔵を配り始めただけかも知れない、自身も遍路をしたことがあり通る人たちの無事を祈ってのことかも知れない。
いずれにせよ彼はボクらが遍路だから手渡し、ボクらはそれを受け取った。
彼の想いもボクらの想いも目には見えない。見えるのは彼がつくった小さな地蔵だけだ。
路上の関所
この小さな地蔵が喉を潤すことはないし、危機を救ってくれることもないが、それは札所とて同じこと。
目に見えないものの話をするのは難しい。
遍路のストイックな時間は日常で埋もれてしまっている意識を研ぎ澄ませてくれる。
目をつむり視覚を断って瞑想するのと似ていて、そうすることで見えてくるものがある。
自発的に始めた遍路なのだから、見出した価値がたとえ少数派であれ、迎合せず常にハードコアでありたい。
ボクは無造作にポケットに入れていた地蔵を、ザックの比較的安全な場所にしまい込んだ。77番札所門前の路上。結願間近のこの場所で、思いがけず関所があった。
休憩しているカワムラさんとムラオカくんを残して先に出る。
丸亀の市街地を抜け78番郷照寺を打つ。あと10ヵ寺。
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善根宿うたんぐら
善根宿うたんぐらに投宿する。宿帳に記名しながらご主人と話した。
大阪の泉大津から移住して、この善根宿を始めたらしい。
なんだかんだで今日もへとへとである。すぐ風呂に入る。
この風呂がすごい。これまでで一等キレイな風呂である。脱衣所にはクーラーが付いており、湯上がりの体をスーッと冷却してくれる。
浴衣に着替えて洗濯機をまわしたらムラオカくんも到着した。
晩メシを調達できるところをご主人に尋ねると、ちょっと歩けば大きなスーパーがあるという。
行き方を尋ねたらご主人と奥さんで道順が違った。
奥さんの道順では遠回りだと、ご主人が急に怒り出した。あまりの剣幕にびっくりする。
浴衣に下は海パンだけ履いてスーパーへ行く。
弁当でも買って帰るつもりだったが、フードコートでカツ丼を食いビールを2杯呑んだ。
間接的なお接待
宿へ戻り今度は奥さんと話す。ムラオカくんは近所で人気のうどん屋へ出かけていた。
奥さんは遍路経験者で、ご主人の定年を機に善根宿の開業を思い立ったらしい。
明日楽しみにしている朝メシのお米や野菜は近所の農家の方が「お遍路さんに」と持ってきてくれるんだそうだ。
直接お会いしていない方からもボクはお接待を受け、助けられて歩いている。
屋号の由来
「うたんぐら」という屋号の由来について、新聞の切り抜きを見せてくれた。
大航海時代のスペインの航海地図に讃岐の記載があり、寄港した港として宇多津が載っており「vtangra」と表記してあった。「ウタヅ」の発音が「ウタングラ」と聞こえたのだろう。ちなみに讃岐は「sanuqui」と表記されている。
あれからご主人は怒って飛び出してしまったらしい。最近ああやって怒ることが増えたのだという。
日々こうして見知らぬ人が泊まりにくるわけだからストレスもあるのでは、と誰も傷つかない方向に落着させようとしつつ、なんとなくボクはご主人にシンパシーを感じていた。
内宇宙のひと
世間と器用に折り合いを付けられず、内宇宙に広い領域を持つペシミスト。
どこで時間を潰していたのか、弁当を手に持ってバツの悪そうな表情で帰宅したご主人にボクは心の中でグータッチをした。
ムラオカくんが帰ってこない。おそらくその辺でカワムラさんと話し込んでいるのだろう。
帰りを待たずに21時ごろ就寝した。
遍路の終わりが近づいている。