【3日目】「へんろころがし」と同宿人の話!

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寒い朝

明け方の放射冷却に身震いして起きた。

昨夜は鴨の湯の駐輪場にテントを張らせてもらって寝たのだった。

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善根宿の小屋に戻ると中年男性の姿がない。

傷めた脚での「へんろころがし」だ。早めに発ったのだろう。

東屋では無人のカセットコンロがラーメンを茹でていた。

トイレから「ポンッ」とコルクを抜くような音がした。

快便礼讃。

ズジャーと水を流して出てきたのは、昨夜の100%PUREシカトじいさんである。

ボクはテントを丸めつつ朝の挨拶をし、昨夜ゴキブリの襲来に遭った話を振ってみた。

じいさんが初めて喋った。「慣れなあかんわ、ほんなもん」

どうやら今朝は機嫌がいい。

シカトじいさんの話

「焼山寺の山ってやっぱりマムシいます?」

「おるよ。あいつら遍路道をまたいでジッとしてるからタチが悪い。トグロ巻いとったら迷わず逃げいよ。ジャンプして首に食いつきよるぞ。特に秋は気ぃ立っとるな。いっぺん木ぃから5、6匹落ちてきて追いかけられたことあるわ」

「最悪山の中で噛まれたらどうすれば?」

「そんときは覚悟せい」

ビビらせておいて心許ないアドバイスである。

「あんまり色々聞くな。遍路が面白くなくなるぞ。初めてやろ?1回目は分からんことが多くて不安なものや。だから智恵を使って工夫するんや。1回目はそれが面白いのや」

ボクは12番焼山寺の「へんろころがし」にかなりビビっていた。

ザックを背負って上りきれるのか、山道に迷いはしないか、マムシは?毛虫は?

でも1回目はそれが面白い。

それは正しいことのように思えた。

昼メシは必ず持っていくよう言われた。もちろん心得ている。

11番藤井寺付近で買うつもりだったが、そのあたりに商店はないという。

先にコンビニ行ってこいと言われ、じいさんは自分が寝ていた小屋からチャリを出してくれた。泥よけに「鴨の湯」と書いてあった。

じいさんにそんな権限があるかはさておき、ともあれコンビニまで行き2ℓの水と昼メシを買って、その場で朝メシにサンドイッチも食った。

鴨の湯に戻るとじいさんはボクの荷物の番をして待ってくれていた。

「これから焼山寺登るんですよね?」

「遍路はもう10周した。今は四国のお不動さんをまわっているのや」

「今日はどちらへ?」

「んー、徳島市内かなあ、高知へ向かうかなあ」

そう言いながら行き先未定のまま歩き出した。

じいさんは自由だった。

生活道具のあれこれをくくりつけたザックを揺らしながら「がんばれよ」と後ろ手を振ってくれた。

8時、ようやく11番藤井寺を打つ。

寺は谷筋にある。

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「へんろころがし」へ

境内の奥に12番焼山寺へ通じる「へんろころがし」の入り口があった。

約10kgのザックに2ℓの水が上乗せである。

上りの一歩一歩が重い。山中で力付きやしないか。早くも恐怖心に苛まれる。

眺望のひらけた場所に出た。

昨日とおとといと歩いてきた徳島平野を一望する。

地図を見ると12番焼山寺までの山中にはだいたい3kmおきに大きなお堂がある。

1つ目の長戸庵ちょうどあんに着いた。

徳島のご夫婦

ハイキング中のご夫婦がいた。挨拶しボクもベンチに座る。

「お遍路してんの?えらいなあ。どこから来たん?」と奥さんがメロンパンをくれた。

「大阪から」と答えつつパンは遠慮したが、「あまりそうやから食べて」と言う。

奥さんが社交的でチャキチャキなのに対し、ご主人はニコニコと寡黙だった。

山に入って何度かヘビを見かけたがマムシではないようだ。

それよりもトカゲがやたらと多かった。

道が途切れて崖に出た。

崖に階段状の小道がついている。これを下るらしい。

下ったところが2つ目のお堂、柳水庵りゅうすいあんだった。

先ほどのご主人がベンチで昼寝していた。

ここでお昼にしたようだが、奥さんの姿はない。

ボクに気づいたご主人がムクリと起き上がった。

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ちょうど正午。ボクもコンビニで買ったちらし寿司でお昼にしながらご主人と話をした。

この柳水庵も以前は管理人がいて遍路が泊まれるようになっていたこと、腰を傷めたのをきっかけに奥さんとトレッキングを始めたこと。徳島市内にお住まいであること、柳水庵で折り返して帰るのが定番のコースであること。

そういったことを先ほどとは別人のように冗舌に語り始めた。

奥さんといるときは奥さんがスポースクマンなのだろう。

夫婦揃って賑々しくなるのを嫌い、寡黙を演出する。

1人になれば個を解放する。それはひとつのダンディズムである。

奥さんが戻ってきた。ナイロン袋いっぱいに松ぼっくりを入れている。

ボクの顔を見るや「アッ」と明るい声を出した。

入れ替わるようにご主人はダンディズムの殻に戻った。

松ぼっくりは植木鉢にまくらしい。

「焼山寺さんはセコいけんね。まだまだ頑張らんといかんねえ」

山に入ってから何度かこの「セコい」という方言を聞いた。

どういう意味だろうと思っていたがようやくわかった。

「セコいってしんどいっていう意味ですか?」

「そうそう、大阪でセコいいうたら意味違うよねえ」

奥さんがご主人に帰り支度をするよう促した。

「この人腰傷めてねえ、それで山登り始めたんよ。まだまだ頑張ってもらわなあかんからねえ。ほら鉢巻きして」

ご主人は「あー」とか「うーむ」とか言いながら、汗止めの鉢巻きを巻いた。

去り際に奥さんが言った。

「徳島に来てくれてありがとうね。焼山寺下りたら市内のほう通るやろ?また会うかも知れへんね」

崖の小道を上っていく2人のその後ろ姿を、ボクはしばらく眺めていた。

山中の孤独

そこから先は人と出会うこともなく黙々と歩いた。

時間の感覚がない。

時折急な斜面を上る場面があり、アゴをしたたって地面に吸い込まれる汗を目で追った。

目の前に長い石段が現れた。

一番上に人影が見えてハッとするが、すぐにそれが人ではないと気づく。

石段を上り切ったところが3つ目のお堂、淨連庵じょうれんあんである。

人に見えたのは弘法大師像だった。

来る者を待つように置かれた像。

錯覚なんだが一瞬、山中の孤独と不安が紛れたように感じる。

遍路はマジックリアリズム

「遍路」は実社会に巧みにレイヤーしたファンタジーである。

道中にちりばめた史実とも寓話ともつかない弘法大師譚はファンタジーの起動装置だ。

例えば衛門三郎えもんさぶろうの逸話。

衛門三郎のもとに弘法大師空海が托鉢に現れる。それを邪険にした右衛門三郎が空海の持っていた鉢をたたき落とすと8つに割れてしまう。その後、衛門三郎の8人の子全員が亡くなる。後悔した衛門三郎は空海に会うため逆打ちの遍路に出る。12番焼山寺近くの杖杉庵で空海に出会うがそこで力尽きる。その翌年「衛門三郎」と書いた石を握った赤子が生まれる、とまあザックリそんな話である。

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ここまでならただの寓話だが、衛門三郎の8人の子の墓が「四国別格二十霊場」の9番文殊院に「八ツ塚」として残っていたり、赤子が握っていた石は愛媛県の51番石手寺の由来ともなり、実際に石手寺に保管されていたりする。

現実と非現実を曖昧にしたマジックリアリズムの体験型レジャーこそ「遍路」の本質と言っていい。

札所の中には「関所寺」といって邪心を持つ者を通さないという、映画「ネバーエンディングストーリー」にでてくる南のお告げ所みたいな寺もある。

食う、寝る、歩くの繰り返しの日々の中で徹底的に痛めつけられた心身は五感を鋭敏にし、時として第六感めいたものにも頼るようになる。

理性より野生が表面に出る。物理と観念の区別が曖昧になる。

そんなときにファンタジーの起動装置に触れると一種の法悦のようなものを感じるのである。

自然の神秘を口にしたり、偶像を崇拝したりするのは法悦の理由を目に見えるものに求めているにすぎない。

本来すべて自分の中で起こっていることなのだ。

この魅力に取り憑かれて何周も何周も遍路をまわって、とうとう本当の「ネバーエンディングストーリー」にしてしまう者もいる。

「へんろころがし」の正体

淨連庵をすぎてしばらくすると下り道になった。

民家やみかん畑も見えてきた。ゴールかと期待がよぎる。

そろそろ体力は限界である。体が熱い、足も熱い、靴を脱ぎたい。

が、残酷にも沢を渡るとまた上り返しになった。

それも垂直に近い崖だ。

ゴールと見せかけてこの仕打ち、これが12番焼山寺の「へんろころがし」である。

踏み外せば本当にころがってしまう。

はるか上のほうに人が見えた。遍路だ。

中年男性との再会

向こうが2階ならこちらが1階という高低差まで追いつくと顔が見えた。

なんと、昨夜の善根宿「鴨の湯」で一緒だった中年男性である。

中年男性はマンガみたいに大汗をかいていて憔悴しきっていた。

シャープだった三角形の眼の輪郭がぼやけている。

ボクは1階から声をかけたが、誰かの声が聞こえるくらいの反応しかなく、ボクだとも気づいていない。

「この道…あと…どれくらい…あるんですか」と2階から聞いてきた。

声は切羽詰まっていた。

道中の岩に何度もへたりこんだのだろう。

白衣の尻のあたりが苔の緑で汚れていた。

残念ながらボクも初めてなのでわからない。

そう答えるより他なかった。

ボクが2階に追いつくと中年男性は「お先どうぞ」と道をあけ、そばの岩に座った。

座ったというより重力に身を任せて落下した感じだ。

木の枝にかかった札に「へんろころがし 6/10」などと書いてある。

上るにつれ分子が増えていきゴールが近いことを伝えていた。

崖から尾根へと取り付き、12番焼山寺の駐車場へ出たときボクは吠えた。

駐車場にいた参拝客らが何事かと振り返った。

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満身創痍で納経を済ませると、ベンチで靴と靴下を脱いだ。

時間は15時半。上り始めが8時半だったからきっかり7時間。

あの接待所のじいさんの予言通りだった。

ところで、今日の寝床が決まっていない。

麓の神山町まで下れば温泉があるし道の駅もある。

野宿もできるだろうがまだ10kmある。

今日は本気で疲れた。ゆっくり布団で寝たい。

神山町へ下る途中にある「すだち館」を予約した。

中年男性の話

中年男性がようやく、脚を引きずりながら境内に入ってきた。

「鴨の湯で一緒でしたよね」

声をかけるがやはり反応は薄い。

今夜の寝床を尋ねてみる。

「神山に無料で泊まれるところがあるので、そこまで行こうと思います」

道の駅のことを言っているのだろうか。

「まだ10km先ですよ。厳しくないですか」

「厳しいですね」

中年男性は捨て鉢に言った。

一応すだち館のことを伝えて「お先に」とボクは歩き始めた。

中年男性はオロナミンCを一気飲みしながら目だけこちらへ向けた。

以降彼と会うことはなかった。

ビールと土地のヴァイブス

すだち館にチェックインする。

女将さんの他に、ボクと同年くらいの弁髪の男性がいた。従業員のようだ。

宿でも風呂は入れるが、希望があれば神山温泉までクルマで送ってくれるという。

ここは迷わずお言葉に甘えて温泉へ行き、水風呂で火照った体を冷却した。

すだち館に戻ると陽が暮れていた。

中年男性のことが気になる。神山町へ下るには必ずここを通るはずだ。

女将さんに聞いても誰も通らなかったと言う。

温泉の行き帰りのクルマでも注意していたが姿はなかった。

中年男性は脚を傷めていた。山中で陽が暮れて身動き取れなくなってはいないか。

あるいはどこかで一宿のお接待を受けているのだろうか。

晩メシには弁髪の男性と近所のおじさんも同席だった。

缶ビールを2本ばかし呑み、ほろ酔いで外へ出る。真っ暗だった。

弁髪男性とともに満天の星を見上げる。

「いいところですね」

「いいところでしょ」

ビールの酔いかこの土地のヴァイブスか。

ここに住んでみたいと思わせる強烈な心地よさがあった。

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