【22日目】足摺って最果て!

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憧れの四万十川

渡船を6時半に予約している。

「ペンションひらの」から渡船場まで3kmほど、余裕をもって1時間前に出発する。

ゆるやかにアップダウンする丘の向こうに、四国外の人がやたらと一目おく四万十川が見えてきた。

港が広くて渡船場を見つけるのに難儀した。

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恐いおじさん

6時半を少しまわって船が近づいてきた。

挨拶して船に乗り込もうとすると船頭さんが「ちがうちがう」と手をひらひらさせた。

渡船ではないらしい。ボクもおかしいなとは思った。

船頭さんは目尻のつり上がったサングラスにポマード頭、いかつさから体格までまんま「ミナミの帝王」のときの竹内力だった。

「この船スピード早いのに乗せれるかい。振り落とされるど」とドスを効かす。

「渡船乗るなら電話せなあかんど。え、もうした?ほんなら待っとけ」

気づかぬふり

四万十川を渡る。河口で海に近いからいわゆる四万十川感は薄い。

対岸の初崎に着いて運賃500円を払う。時間の融通をしてくれた礼を言う。

今日は勝負の日である。

足摺岬まで約40km。おそらくこれまでで一番長く歩く。

遍路地図にある「レストラン大文字」で腹ごしらえだ。

国道321号にぶつかる丁字路に向かっていると、国道を右から歩いてくる遍路が見えた。

間違いない、イシイくんだ。これは気まずい。

いつもなら朝メシに誘うところだが、別行動にしようと言った舌の根も乾いていない。

丁字路はとても見通しがいいわけだけど、ボクは気づかないふりで国道321号を左折した。

ボクが前、後方50mにイシイくんという格好になった。

ボクは沿道の「レストラン大文字」に入り、窓際の席に座った。

イシイくんも気がついているはずだが、こちらを見ずに通り過ぎた。

切ない瞬間である。

小京都

「レストラン大文字」のモーニングはトースト、コーヒー、ゆで卵、サラダ、それにそうめん入りのみそ汁が付いた。

屋号の通り店の裏には大文字山があった。

京都のそれと同じく山腹に「大」の文字。

応仁の乱を逃れてこの地に流れ着いた一條氏が、京都を懐かしんでこしらえたものらしい。四万十市の中心、中村の街は小京都とも呼ばれる。

トンネルを抜け「ドライブイン水車」を過ぎたところで向かいから遍路が歩いてきた。

挨拶を交わすと50代後半くらいのおじさん。

足摺岬からの打ち戻りだという。

話している最中に2度、おじさんはボクの顔をじっと覗き込んで「おたくさんはいい顔しているねえ」と言い莞爾かんじと笑った。

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道楽遍路

下ノ加江にあるコンビニ、スリーエフで休む。

ベンチに遍路が座っていた。鷹揚おうような面構えでおにぎりを食べていた。

話すとちょっと変わった人だった。

気に入った遍路道だけを歩いて、それ以外はクルマ移動するという。

38番金剛福寺は打ち終えたがこのあたりの遍路道を気に入り、もう少し滞在するのだという。

この人も道楽遍路なのだ。

ボクが出発するとき、「その先の橋は風が吹いて気持ちいいよ」と教えてくれた。

その通り、橋の上には海風が吹き抜けて心地よかった。

サニーロード

それにしても暑い。日射と道路の輻射熱、上下のダブル加熱でじっくり調理されている気分である。

国道321号は別名サニーロード。「321」で「サニー」。

今日みたいな日にはキツい冗談でしかない。

大岐浜に出た。ドラマチックにも1.6kmの砂浜がそのまま遍路道になっている。

とても美しい浜で、サーファーたちが波と戯れる脇を杖を突いて歩いた。

以布利の港にある遍路小屋で休む。

屋根あり、トイレあり、芝生あり、自販機ありで絶好の野宿地だった。

宿のおばさん、ゴメン

すぐ裏には大阪の水族館、海遊館に供給するジンベエザメを飼育する施設があった。

そろそろ今夜の寝床を決めておきたい。何も考えず歩くことだけに集中したい。

さすがに今日は野宿は頭にない。

ここへ来る途中「足摺ユースホステル」に電話は入れてあった。いつものように空室確認だけで予約の確定はしていない。近くまで来たらもう一度電話すると伝えてあった。

実際のところ足摺岬まで到達できない可能性はあったし、どんなハプニングがあるかもわからないからだ。しかし今回はこれが災いした。

改めて予約の電話を入れると「今日は用事ができたので閉館にしたよ」とおばさんが言う。

困らせるつもりはなかったがボクは食い下がった。

足摺岬は観光地だから宿は他にもあるだろうが、足摺ユースホステルの素泊まり3000円という値段はおそらく最安だ。

観光ホテルはその値段は見つけられまい。というかこれから探す気力がない。

おばさんが言うには夕方には用事は終わるが、ボクは到着する時間とズレるかも知れないという。

多少のズレは構わない、待ってるのでなんとか泊めてほしいと予約にこぎつけた。

これはボクはいけない。

卑しい様子など見せず、最初から予約しておけば良かったのだ。

おばさんはボク1人のために用事を切り上げ、ボク1人のために風呂を沸かさねばならない。

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地獄の10km

窪津の漁港に出た。ホエールウォッチングの看板が出ていた。

足摺岬まで10kmの看板もあった。

疲れはピークだった。地獄の10kmが始まる。

腰を下ろせる場所もなく、歩道の縁石でもなんでも座れそうなところでは座って休んだ。

津呂の善根宿があった。声をかけるが誰もいないようだ。

自販機は故障していて飲み物を買えなかった。腹が立った。憔悴していた。

1歩1歩が重く鈍い。大きく脚を開くことができず歩幅が短い。

このときボクはどんなことを考えて歩いていたのだろう。まったく記憶がない。

足摺岬

遍路道をアコウの樹がトンネル状に覆っている。

トンネルを抜けると突然、通路からスタジアムに出たみたいにワーッと喧騒が広がった。

そこが足摺岬だった。

先ほどまでの静寂から一転、観光客が行き交い活気にあふれていた。

17時を過ぎていた。38番金剛福寺の納経は明日になる。

最後の力を振り絞って足摺岬の展望台だけ見ておきたい。

ボクは絶景を眺めながら、披露感と達成感とに満たされた。

海から吹き上げた風が観光客の女の子のスカートをまくった。

愚か者

「足摺ユースホステル」へ行くと玄関が開け放たれていた。

おばさんが帰ってくれているのだ。

無理を言った非礼を詫び、部屋に通してもらう。

メシの調達できる店を訪ねると18時には閉まるというので慌てて出かける。

緊張の糸が緩んでいた。

さっきまで歩いていたのが不思議なくらい、激痛でまともに歩けなかった。

ヨタヨタと足を摺ってたどり着いたのは小さな商店で、たいしたものは置いていない。

素性のよくわからない揚げ物とカップ麺、明日の朝メシにパンを買った。

酒屋でビールもロング缶で2本買った。

足りなければまた買いにこよう。閉店時間を尋ねたら「呼んでくれればいつでも開けるよ」と言われ安心した。

徳島を出発してとうとう足摺岬まで歩いたのだなあ。

2本目のロング缶で早々にまどろむ中、それってわりかしすごいことだと思った。

愚か者のボクがなあと、自嘲的に口を歪めたところで果てた。

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