ダブから現代音楽まで
昨夜、酒盛りしていて音楽の話になった。
イシイくんが今日は音楽を聴きながら歩いたというので、何をか尋ねたら「ワッキーズ」というレゲエのレーベルのアーティストだという。
-->
偶然ボクもスマホに「ワッキーズ」のコンピレーションを入れている。
話はモーリッツ・フォン・オズワルド、ポップグループ、SPKにおよび、シェーンベルク、スクリャービン、シュトックハウゼンの名前まで飛び出した。
まさか遍路道の片隅でシュトックハウゼンを語るとは思わなかった。
へんろころがし「真っ縦」
鼻ちょうちんを膨らませているイシイくんを置いて出発した。
すぐに「真っ縦」に入る。
その名に偽りなく、クルマならローでないと上らないような無理やり付けたような道だが、宿に荷物を置いて空身なので楽勝である。
そして朝イチである。
前日にどれだけ疲れても、寝て起きれば真っさらだ。
27番神峯寺を打つ。
7時前に納経所のカーテンが開く、今日もまた生産性の低い1日が始まる。
台風一過の超快晴。
サングラスをかけてザックの腰ベルトを目一杯締めた。
そういえばボクも歩きながら聴こうと色々と音楽を仕込んできていたのだ。
今日は陽が暮れるまで国道55号を突き進むのみ。
愛の夏
イヤホンをはめ、選んだのはプライマルスクリーム「スクリーマデリカ」。
1曲目「Movie’ On Up」のピッキングの強いギターのイントロが流れた。
ヒッピー文化と桃源郷思想がないまぜになった60年代のアメリカで興ったカウンターカルチャー運動「サマーオブラブ」。
その再来と言われた「セカンドサマーオブラブ」は80年代終わりのイギリスで興った。
その余波が遅れて日本に届くころ、ボクは思春期の真っ只中にいた。
「スクリーマデリカ」はその「セカンドサマーオブラブ」というよくわからない抽象的な言葉とともに音楽雑誌で紹介されていた。
当時のバイト先にいたショートカットで趣味の良い女のコにイイよと教えられ、CDで買ったのを覚えている。
依頼の愛聴盤であり、今回の旅にも外せなかった。
-->
「道の駅大山」を過ぎ、防波堤の遍路道を歩く。
並走する土佐くろしお鉄道の高架を呑気に1両の列車が走り抜けたりする。
朝からメシにありついてない。
メシらしいメシを最後に食ったのはいつだったか。今日はしっかりと食おう。
まちがえた店
安芸の街で「ファミリーレストラン蝶」の看板を見つけた。
1階が駐車場、2階がレストラン、その上はホテルになっていた。
広々してザックの置き場にも困らなそうだし、メニューも豊富そうだとここに決めた。
が、入り口を間違って隣のビルの階段を上ったらしい。
間が悪いのかいいのか、そのビルの2階もまた飲食店だった。
よほど空腹だったのか気づかぬまま店に入ると、おばさんたちが出前の弁当を詰めている。
「お昼はこれだけなんよ」と積み上げた弁当を示した。
弁当は品目が多く栄養バランスもいいように思えた。いい昼メシに当たった。
弁当詰めを終えたおばさんが隣の席で一息ついていた。
おばさんもクルマで遍路したことがあるという。ボクが遍路に出たわけを聞かれた。
祖父母が途中までまわっていて、いつかボクも行きたかったのだと答えた。
「そうかえらいな。おじいさんとおばあさんも喜んでるやろね」とおばさんは言った。
おばさんはペットボトルにお冷やを入れてくれ、店にあった空のペットボトルにも入れて渡してくれた。
「ファミリーレストラン蝶」ではなく隣の「味いちもんめ」に入っていたと気づいたのは店を出てからである。
安芸の街を抜けると、遍路道がサイクリングロードに入った。
現在は高架化した土佐くろしお鉄道の旧線跡である。
西分の善根宿
真新しいロープを張って侵入禁止としてある箇所があった。
もしやと覗いてみればやはり、波で防波堤が破壊されている。台風のニュースで見たのはここだった。
防風林に沿った気持ちの良いサイクリングロードにお接待所があった。
広々とした小屋にイス、テーブルが置いてあり、遍路姿のカカシが座っていた。
裏で作業中のおじさんに声をかけ休ませてもらう。冷蔵庫からお茶ももらった。
ここでイシイくんが追いついた。
今日歩いた道中、聞いたことのない善根宿の看板を見かけた。
「土佐くろしお鉄道、西分駅近く」とだけ書いてあった。
無料で泊めてくれる善根宿が宣伝しているのも珍しい。
ひとまず西分駅まで行こうと連れ立って歩く。
連れ立って歩くといってもお互いのペースで前後したりするから、歩きながら話すことはほぼない。
国道55号に出て、西分駅の手前のローソンで休憩。
イシイくんは腹ペコだと巨大な満腹弁当を買った。ここで食べていくというのでボクは先に善根宿の様子を見にいくことにした。
駅周辺に善根宿らしきものは見当たらない。
駅裏のサイクリングロードに出てみると、土佐くろしお鉄道の高架下に2、3軒のプレハブ小屋が見えた。どうやらあれみたいだ。
不良老人
小屋に近づくとじいさんが1人いた。
ひと晩世話になりたいと告げると、管理人が間もなくここへ来るという。
じいさんは何周もまわっているプロ遍路で、善根宿の管理も兼ねてしばらく滞在しているのだとか。
サイクリングロードを真っすぐこちらへ向かってくる1台の原付きがあった。
背筋をピンと伸ばしてガニ股で、まるで往年のヤンキーである。
それが管理人のハギモリさんだった。いごっそうの不良老人かと思ったよ。
宿泊を快諾してくれるや否や、遍路地図を出せという。
-->
ハギモリさんの道標
地図に赤えんぴつで次々と印を付けていく。
なにごとかと思えば、この先にある善根宿、野宿場所などの位置だった。
印を付けるのに飽きると「続きはあの人に教えてもらえ」と遍路地図をじいさんに委ねるのだが、口を出さずにおれないようで、また自分で印を付けていく。
結局88番までの寝泊まり情報をみっちりと書き込んでくれたのだった。
遍路道が複数分かれる箇所では、行くべき道以外にバツを付けてあった。
足摺岬にある38番金剛福寺は、その先2ルートに分かれる。
往路である足摺岬の東岸を打ち戻って三原村を山越えするルートと、土佐清水市街、大月町を経て宿毛に入る海岸線ルートだ。
意外だったのは後者、海岸線ルートにバツが付いていたことだ。
ボクはそっちを行くつもりだった。同じ道を戻るのはつまらないのもあったし、足摺岬のさらに向こう側、四国の果ての果てを見てみたかった。
理由を聞くと暴走族が出て野宿遍路が襲われることがあるという。
後に地元の方に聞いても暴走族などおらずいたって平和とのことだったので、ハギモリさんの情報がかなり以前のものなのかも知れない。
納経帳の値打ち
他にも穏やかでない話で警鐘を鳴らす。
愛媛の松山を過ぎたら盗難に注意しろと言う。札所でいえば50番前後。このあたりから泥棒が増えるらしい。狙いは納経帳である。
実は88番までコンプリートした納経帳はそれなりの値で売買されている。
納経帳なんて所詮スタンプラリーだろうとボクなんかは思うが、やはりそこは宗教的側面がある。
大師信仰、あるいは四国霊場の信仰者にとっては是が非でも欲しいものなのかも知れない。
自身でまわりたいが、高齢や病気で叶わない場合もあるだろうし、床に伏した親から冥土の土産にねだられることもあるのだろう。
胡散臭い経路と知りつつもオークションサイトなどに手を出さざるを得ないのだ。
遍路は50番前後までがしんどい。特に高知は札所がばらけていて距離が長い。
それ以降は札所が集まっていることが多いからクルマなら2、3日もあればまわれる。
こうした事情から50ほど埋まった納経帳を横取りしようとする輩がいるのである。
ややこしいプロ遍路
プロ遍路には気をつけろと言う。
ボクのような初心者との世間話に有益な情報を紛れ込ませて、それを押し売り的に金を無心するのがいるらしい。ハギモリさんはその類を心底憎んでいるふうだった。
以前リヤカーを押して現れたプロ遍路の宿泊を断ったら、翌朝善根宿の前にウンコされていたことがあったそうだ。
ハギモリさんは趣味とボランティアを兼ねて、こうして訪れる遍路に情報を与えているのだろうが、タチの悪いプロ遍路が物知り顔で何か教え込もうとしてきても、はじき返せるだけの智慧を付けとけ思いもあるのだろう。
ファントムムード
愛媛に「青木地蔵」と呼ばれるお堂がある。
布団もあって無料で泊まれるそうだが、ここはいわくがあることをボクは知っていた。
とは言え所詮はネット情報。複数のサイトで書いてあったもののほとんどがコピペだろうし真偽は定かではない。
-->
ここは出る、というものである。
ここで自殺した遍路がいるだの、泊まった遍路が発狂しただの、夏にコンビニに並ぶ怪奇系ペーパーバックなみに胡散臭い話である。
興味深いことにハギモリさんはここにバツを付けていた。
好奇心から理由を尋ねる。
「この青木地蔵はなんでダメなんですか?」
「……ん、まあな」
「え、なんかあるんですか?」
「なんでもやっ、あかんのやっ」
とまあ真相は語られず。
そもそもオバケが出る出ないで真偽云々もないのだが、遍路のファンタジー世界にいる者としてはあながち一笑に付すことができない。
後に出会う若い男の遍路がここに泊まったらしい。
オバケこそ出なかったが奇妙な体験をしている。
夜布団に入って眠りかけていたら、いきなりすごい勢いで戸を叩かれた。
飛び起きてみれば、おじさんが若い女の遍路を2人連れて立っていて「このコらも泊めてやってくれ」と言う。
断る理由はないので快諾してまた布団に入ると、女のコたちがおもむろに着替えを始める。
衣擦れの音から察して上半身は裸と思われた。
彼は2人に背を向け、まんじりともせず夜を明かしたらしい。
イシイくんが到着するや、また遍路地図に印を付けていった。
「歩きは別でも野宿は一緒にしたほうがええぞ」と言う。
ことさらに言うので暴走族やプロ遍路のこと以外にも、経験に基づく何かがあるように見受けたがその意図は汲み取れなかった。
メシやビールは近くにある「ひびき屋」という商店で買うといいと教えてくれた。
18時以降に行けば弁当が半額になるらしい。
寝支度(といっても小屋にエアマットを敷くだけだが)をして「ひびき屋」へ向かう。
半額になったちらし寿司と唐揚げとビールを買った。
小屋には電灯がないからと、ハギモリさんは園芸用で使うスティック状のソーラーライトを2本貸してくれた。本当にサービス精神旺盛な人である。
さて、明日はいよいよ高知市街に入る。
今日は風呂も洗濯もできていないのでゆっくり宿に泊まるつもり。
夜の街にも繰り出そうと話す。久しぶりの居酒屋呑みである。
予報では明日は雨。今朝の高気圧はどこへやら。すでに空気は湿り気を帯びて小屋の中が蒸せてる。
カナブンがひっくり返って三々五々転がっている。
虫嫌いにとってエアマットの上だけがセーフティゾーンだ。
ボクは枠からはみ出さぬよう仰向けになって胸の上で腕組みをし、まんじりともせず夜を明かした。