歩いて日本一周しているという、酔狂な男と知り合った。
夜の高知の帯屋町。
路上でライブをしていた彼に、カミさんが声をかけたのだ。
こちらは酒も入っていたし、ノリでそのまま最寄りの居酒屋へ連れ込んだのである。
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漂泊する男
名を戸高寛くんという。
聞けば、旅をスタートしたのが2013年というから、放浪は4年にもおよぶ。
今はちょうど四国ステージってことで四国遍路の真っ最中らしい。
ボクも四国遍路を6年前に経験している。
面白かったのが、その道中にボクが出会った河村さんという、何十年も遍路をしている怪人がいるのだが、彼もまた出会っていたことだ。
面白い偶然である。
彼のホームタウンであり、旅のスタート地でもある神奈川県の藤沢市は、過去にボクが海の家のリゾートバイトでひと夏を過ごしたいうご縁もあった。
そんなこんなで話は弾み、杯はすすんだ。
後日、カミさんが招待したらしく、ウチで一緒にメシを食うことになった。
これはえらいことになった。ボクは稀代のコミュ障なのだ。
こないだみたいに酒が入ってるならまだしも、シラフスタートで知らない人と自宅でメシ食うとか修行すぎる晩餐である。
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いい感じのヴァイブスに満たされる
いささかの緊張感のなか幕開けした晩餐も、食べ終える頃にはリラックスして会話に興じる自分がいた。
なんだろうかこの向精神薬を投与したような、ほどよい昂揚感。
高知へ移住してボクも少しは社交的になったか、それとも酒がまわったか。
ひろし君と話すうち、その理由が見えてきた。
非常にオープンマインドな人なんである。
風通しがよく邪気がない。
彼のそのいい感じのヴァイブスがボクにも伝播してきているのだろう。
「いい感じのヴァイブス」では抽象的なので「人徳」と言い換えてみよう。
旅の話を聞くにつれ彼の「人徳」が並並ならぬものと確信を持った。
出会いの質と量は「人徳」によりけり
驚いたのは人との出会いの多さである。
路上ライブしたり野宿したりで目立つだろうが、それでもそんなに出会うかってくらい人との出会い話が尽きない。
で、どのエピソードも濃ゆいんである。
キャンピングカーで全国を行脚するミュージシャン、ジュンノスさんのツアーにベビーシッターとして同行した話とか面白かったなあ。
ここでは書けないような危ないエピソードも飛び出したりして気が抜けない。
ボクが遍路をした時もそういう個人差はあったな。
四国ではお遍路さんに飲み物や食べ物や金銭を施したり、家に泊めたりすることを「お接待」とよぶが、人によってこの「お接待」を受けられる回数に差がでるのだ。
誰でも歩けば尊し、ではない。
歩き旅は人徳を計るバロメーターである。
路上ライブでの投げ銭が、何の対価なのかわからないと彼は言う。
ボクにはその対価がよく見える。
アップデートしつづける「最新の清流」
水は止まればよどむ。
それは人も同じ。ほとんどの人は望むとも望まずとも止まり、そこでよどんでいる。
一つ所に止まる、成長が止まる、好奇心が止まる、思考が止まる、自由が止まる、そしてよどむ。
ひろし君はこの4年間、自由に移動し、視点をスクロールさせ、路傍の人々と人生を交差させ、常にアップデートを繰り返しているわけだ。
路上ライブで声をかけられて、その人の身の上話を30分聞いて、歌っていないのに金を投げて下さるということが1度や2度ではないという。
それはひろし君の佇まいに「清流」を見たからだろう。
無数の水流が集まって川になるように、旅で得た無数の経験、知識、思想、機知がひろし君には流れ込んでいる。そしてそれは日々アップデートし、よどみがない。
よどみを抱えた人はこの「清流」に癒しだったり、救いだったり、何がしかのヒントめいたものを見るのではないだろうか。
四万十川が「最後の清流」ならば、ひろし君はさながら「最新の清流」である。
高知を発つ最後の夜、路上ライブでそこそこ稼いだといって、土佐の地酒「文佳人」を手土産に遊びに来てくれた。
以下はトロピカル音楽をBGMに、「文佳人」の冷酒をさしつさされつ行った戸高寛なんちゃってインタビューである。
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戸高寛なんちゃってインタビュー
「みんなで作る花火大会」を企画して、募金で65発の花火をあげました。
種田山頭火や井上井月は、俳句を読み、施しを受け、どこへ行っても子供や犬がついて回るような人だったらしい。
ひろし君と話していると、彼らのような漂泊の俳人の再来を思わずにはいられない。
ボクがひろし君から教わったのは、
「オープンマインドでいよう」、である。