「前から気になっててやっと来れましたー」とか言うのは、食べログにコメントを書く人がこまっしゃくれたラーメン屋を訪れるときであって、峠の古びたトンネルでは決してない。
てことで、今回は土佐市と須崎市を結ぶ2つの古道、前から気になってた仏坂と樫迫隧道 を訪ねる。
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浦ノ内湾のくねくねと曲がりくねった海岸線に沿って西走する。
宇和海のリアス式海岸や、瀬戸内の多島美を思わせる景色は変化に富み、飽きがこない。
横浪 半島に囲われる浦ノ内湾は、ちょっと変わった形をしている。
半島は通常、海に向かって突き出す格好をしているが、横浪 半島は根本でペタンと折りたたまれているために、その隙間が東西に細長い湾になっているのである。
湾の口から奥まで約12kmもあることから横浪三里(一里は約4km)とも呼ばれ、湾を横断する定期船があったりして、これもいずれ乗ってみたいと思っている。
さて、県道47号と314号への分岐である。
一つ目の目的地、仏坂へは県道314号を行く。
片側二車線の牧歌的な道に似あわぬトゲのある警告。
「あゆ、うなぎ、ツガニをとるな」、豊かな川ではないか。
「懸 け樋 からしたたる水の音しか聞こえないような山里。とある家の庭に実がたわわになっているミカンの木があるが、木のまわりを頑丈に囲ってあるのを見て興醒めした」という、徒然草にある「神奈月のころ」を思い出した。
仏坂へはここを右折する。
なんと遍路道だったのか。ボクが遍路をしたときは横浪半島を歩いたので全く知らなかった。
36番青龍寺から37番岩本寺まで向かう長い道のりの途上である。
古道然としてきた。
勾配はゆるい、ペダルはクルクルと回る。
グーグルマップでは見当たらないが、国土地理院の地図にはこの辺りに「仏坂」の表記がある。
山の静寂を切り裂いて突如、「コンッ」、と小気味よい音が鳴り響く。
竹と竹のぶつかる音なんだが、姿の見えぬ何者かに威嚇されているようでビクッとなる。
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佛坂 不動尊、光明峯寺 というのがあるらしい。
ここに古道「仏坂」の名前が残されている。
五度見必至のアシッドパンクホラー鳥居。
山間部では不法投棄を思いとどまらせるためのこうした鳥居細工をよく見かけるが、このデザインは意味不明な怖さが漂う。
効果は絶大のようで、不法ゴミの類は一切見当たらない。
里へ下りるとJR線に沿って北上する。
ふいに現れたJR吾桑 駅の光景に軽く心を奪われる。
子供のころに見た旧国鉄時代のテンプレート的ランドスケープ。
駅前には砂利のロータリーがあり、家族を送り迎えするクルマが停めらられるようになっている。
駅でトイレを借り、自販機で温かいカフェオレを買って少し休ませてもらった。
けたたましくクルマの往来する国道56号から旧道へと取り付いた。
旧道から現行の新名古屋トンネルを望む。
写真には写っていないが、すぐ隣には大型車同士の離合が困難だったという規格の小さな旧名古屋トンネルもある(閉鎖済み)。
新名古屋トンネル開通が1995年、旧名古屋トンネルは1958年。
これから向かう樫迫隧道はそれよりも時代をさかのぼる。
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ちなみにこの旧道を名古屋坂、あるいは名古屋峠といい、名古屋トンネルの名前の由来となっている。
では樫迫隧道の「樫迫」とは何なのか。
トンネルを抜けて東側の集落が樫佐古なのでそこからきているのは間違いないが、トンネル抗口上部には樫迫と彫られているらしい。
当時の役人のうっかりミスによる表記揺れだとすれば面白い。
折しも文旦の収穫期。この季節ばかりは寂しい旧道にも大勢の人たちの雑談が響いていた。
九十九 に折れて文旦畑を上り切ると、、、
樫迫隧道が現れた。
想像してたよりずっと立派なトンネルである。
開通は明治期の1898年。モータリゼーション以前はここが高知と須崎を行き来する街道だったのだ。
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wikiによれば当初は徒歩や人力車が往来し、1904年には馬車による定期便がスタートしたという。今で言うコミュニティバスのようなものか。
峠付近は茶屋で賑わい、旅客同士、東西の情報交換をしたのだろう。
そして1921年にはついにクルマが通り始めたが、さすがにそれには道が貧弱すぎて、後の名古屋トンネル、新名古屋トンネルへと繋がっていくのである。
トンネル東側の樫佐古集落へと下る。
荒れているものの、轍が残っているので少なからずクルマで通る人があるようだ。
ちなみに「佐古」とは地形に由来する地名で、これもwikiからの引用になるが、柳田國男著「地名の研究」によれば「一つの水流の岸が連続して平地を作っている所」を西日本でサコというらしい。
これだけではいささか解釈が及ばないので、いずれこの本も読まねばなるまい。
さらに蛇足で、旧道を往くというサイトを見ると、樫佐古集落の奥に存在する「さむらいみち」という道のことが記されている。
国土地理院の地図を確認すると確かに、樫佐古から先ほどのJR吾桑駅の南のあたりまで、峠越えの道が通じていることがわかる。
「さむらいみち」という名の由来も含めて非常に興に深い。
好奇心は連鎖し、それらを満たす行動へと駆り立てられる。
だからこの遊びはやめられんのだよ。