ゆらゆら帝国にはドハマりしたのに、解散後の坂本慎太郎のソロはピンと来なかったという人は少なくないのではないか。
と、指摘されてグサリとくる人が一定数いるはずである。
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坂本慎太郎のセンスに共感し熱狂してきたが、この落差についていけないことがちょっぴり恥ずかしいみたいな。
無理もない。
ソロ作では情緒のない、にちゃっとしたメロディの曲ばかりが並ぶ。
テンポ遅れ気味のドラムはどうにも小気味悪くてノレない。
コーラスをフォーククルセダーズの「帰って来たヨッパライ」みたいに加工する意味がわからない。
子供のオモチャのようなチープな楽器の多用はわりかし面白いのだけど、そこをクローズアップしてもせんない気がする。
唯一、シンセサイザーみたいな使い方でうねる、弛緩したスティールギターにはトバされるかなあみたいな。
あるいは、的な。
ボクもグサリときたクチであると告白しよう。
1st「幻とのつきあい方」はタワーレコードで購入したものの、2nd「生で踊ろう」はレンタルCD屋でレンタル、3rd「できれば愛を」はApple Musicでポチといった塩梅で、坂本慎太郎ソロに興味を失いつつあった。
ひとことで言うと、聴くシチュエーションを自分なりに想定できない音楽だったというのが大きい。
これ誰がいつ聴くんだと。
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ターニングポイントは突然訪れた。
先日行った選曲の芳しい居酒屋で、3〜4曲連続して坂本慎太郎ソロが流れたのである。
ボクはその時、四万十の栗焼酎「ダバダ火振り」の湯割りを舐めていたのだが、焼酎特有のもわんとした酔いと、店内BGMという無責任なシチュエーションが、坂本慎太郎にバシッとハマってしまった。
なんだか知らないがチューニングが合ったのである。
以来、面白くて仕方なくて坂本慎太郎ソロばかり聴いている。
こういう予期せぬ歓喜こそ、音楽の愉しみの醍醐味であろう。
坂本慎太郎ソロはとっつきにくいが、うまくチューニングが合えば熟したアケビのように芳醇な音楽である。
来たる年越しキャンプでも、焼酎湯割りを手にポカンと口あけて聴こうと思うと今から楽しみである。