【7日目】川之江の記憶!

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父方の田舎は愛媛県の川之江というところにあり、ボクが生まれた街でもある。

「川之江市」だったのが今は近隣と合併して「四国中央市」になり、映画「書道ガールズ」のロケ地でご存じの方がいるかも知れない。

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瀬戸内海に面してはいるが、漁業はさほど盛んではなかったように思う。

かの大王製紙の城下町であり、四国のマンチェスターとでも言うべきインダストリアルな街なのだ。

街には潮の匂いと、パルプを製造する独特の匂いとが入り混じっていた。

祖父母はかなりの高齢になってから遍路を始めた。

天気の良い日に気分がのれば近くの札所をまわっていたらしい。

果たして何番まで行ったのか。興味はあるが祖父母の納経帳の所在はわからない。

祖父が亡くなり、遍路をやめた祖母の「あんたも大きいなったら行きや」という言葉。

あれはおそらく本気ではなかったと思う。

身近な人間がいなくなるなど、普段イメージすることはない。

長期休みになれば孫が訪ねてくる。海へ連れて行く、一緒に正月を祝う、

そうした生活が際限なく続くと信じていたのではないか。

祖父は天寿であったが祖母にとっては理不尽で、行き場のない怒りをボクにぶつけたのだろうと思う。

その祖母もすでに鬼籍に入ったが、まさかボクが本当に行くとは思っていなかったろう。

川之江はまだはるか先で、遍路道からも外れるが立ち寄るつもりである。

支度をして宿のロビーに行くと見覚えのある顔があった。

「すだち館」で出会ったMTB老遍路である。

もう1人の宿泊客というのは彼だったのだ。

アンドウさんはすでに出発していた。

話せばMTB老遍路、川之江に住んでいたことがあるという。

農人町というから祖父母宅から5分ほどのところだ。

妙なご縁である。

例によってMTB老遍路はチャリだから遍路道は行かない。

20番鶴林寺と21番太龍寺の間の那賀川にチャリを停めて、そこを拠点に2つの寺に歩いて上るそうだ。

7時を少しまわって出発。

昨日アンドウさんとビールを呑んだベンチで身なりを整えていると、登校中の小学生が行進してきた。

口々に「おはようございます」と挨拶してくれる。

ボクも「いってらっしゃい」と返した。

ひっそりと静まる「居酒屋ともちゃん」の裏から遍路道に入った。

今夜も後続の遍路が訪れてまた宴になるのだろう。

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遍路道は九十九に折れて標高を上げていく。

「ツインピークス」の胸の谷間を流れる那賀川がよく見えた。

舗装路から山道に変わり、20番鶴林寺まで1kmを切ると道が石畳に変わる。

納経所の女性がきれいな方で一服の清涼剤となった。

那賀川まで下り、川辺の東屋で裸足になって小一時間ほど休憩。

21番太龍寺へ向かう山中のベンチで休んでいるとイシイくんが追いついてきた。

再会を喜び、ベンチを譲る。

21番太龍寺の境内に「20番鶴林寺」と矢印をした看板があった。

示す方を見ると隣の山頂に20番鶴林寺がよく見えた。

ちょうど同じくらいの高さだ。いっそ吊り橋をかけてはどうかと思う。

山2つのアップダウンこそなくなるが、そのスリルは「へんろころがし」に変わるまい。

谷をえぐり、尾根を巻いて道は下る。

谷のカーブには沢があり、そこだけ清涼な山の冷気に包まれている。

冷気の中にじいさんが涼んでいた。

この先、22番平等寺から23番薬王寺までのルートについて教えてくれる。

国道55号ではなく海沿いの遍路道を行くようにと言う。

そりゃ歩くなら海沿いが気持ちがいいが、水や食べ物の補給の心配がある。

不安をぶつけてみたら「海沿いはJRが走っているから大丈夫や」とのこと。

里へ下りてきた。

次の22番平等寺はそう遠くないが、ひとつ小さな峠を越えなければならない。

大根峠の遍路道に入る。

上りはたいしたことなかったが、下りが意外に長い。

今日中に22番平等寺を打ちたい。

打てば明日は早くに出発できるが、打てなければ納経所オープンの7時に縛られる。

峠道を抜け、見通しのいい道に出た。

見通しがいいのにまだ22番平等寺は見えてこない。

時刻は16時半。納経所がクローズする17時に間に合うだろうか。

日の出日の入り以外に縛られまいと始めた遍路なのに、納経所の開閉に縛られているのが腹立たしい。

中学生くらいの男子が7、8人屯っていた。ボクに気付いて全員こちらを向いた。

体格のいいリーダータイプの少年が「頑張って下さい」と声をかけてくれる。

疲れと焦りの中の激励は身に染みる。

ペースが少し上がったような気がする。

振り返ればイシイくんの姿。

のっしのっしと下半身にウェイトを置いた早歩きで迫ってきていた。

ギリギリ16:50、22番平等寺に到着。

先に朱印をもらおうと納経所に行ったら「待ってるから先にお参りしておいで」と言ってくれた。

17時過ぎ、イシイくんが納経を済ませて納経所は閉まった。

しばらく動ける気がせず、境内で休ませてもらう。

イシイくんは宿を取っていて、クルマで迎えに来てくれることになってるらしい。

ボクが今夜お世話になる善根宿「きくや」は金物屋の「きくや」が運営されている。

中を覗くと先客のザックが見えた。今夜は同宿人がありそうだ。

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宿泊するには金物屋「きくや」に申し出なければならない。

ネット情報では無料で泊めてもらう代わりに「軽作業要」とあった。

店のおじさんに申し出ると「ちょっと仕事してもらうよ。裏の家に行って」と言われる。

指定された場所へ行くと日本庭園の草刈りをしている人たちがいた。

声をかければ1人はアンドウさんだ。園芸バサミを振り上げて「おーい」とやっている。

もう1人は「きくや」の奥さんである。

「もう1人来るって言ってたのは彼のことね」と得心されていた。

昨夜の「居酒屋ともちゃん」でボクが言ったことを信じてアンドウさんはここまで来ていたのだった。

小一時間ほど草刈りをすると、駄賃にカップ麺を1つずつもらえた。

今日はろくに食べていない。腹が減った。

奥さんに聞くとJR新野駅前に最近ローソンができたらしい。

2kmほどだというのでチャリを借りた。

善根宿にあるコインシャワーに入ってから、ボクがメシの買い出しに行く。

アンドウさんに弁当の希望を聞くと「肉が入ってるやつなら何でもいい」とのこと。

弁当とビールを買ってコンビニから帰る途中で陽が暮れた。

無料で使える洗濯機を回しながら外のイスでビールを呑む。

アンドウさんと明日のプランを練る。

ここから先は街と街との距離が長くなる。

次の札所、23番薬王寺のある日和佐までが25km、日和佐から次の街の牟岐までは15kmだ。

日和佐〜牟岐間は本当に何もなくて、メシの調達すら難しそうだ。

明日は日和佐までかなあというところで落ち着いた。

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