スピってる?
朝トイレに行こうと部屋を出たら、ほぼ同時に向かいと隣の部屋のドアが開いた。
2人とも知った顔だった。
1人は昨日直射日光の中で休んでいたばあさん遍路、もう1人は「安宿」で同宿した玉の汗遍路である。
4時半。2人ともすでにザックを背負っている。
「もう出るんですか?松尾峠越えるんでしょ?まだ真っ暗ですよ」
「歩いているうちに明るくなるがな」
ばあさん遍路は関西弁だった。
玉の汗遍路は30代くらいの女性なのだが、1日40kmくらい歩くと言っていた。急いでいるというより焦っているふうだった。
右アキレス腱の痛みだが、不思議なことにけろっと直っていた。
向こう2、3日は続くであろう根の深い激痛だったのに。
スピった話はしたくない。が、このときばかりは自分の回復力以上の何かが作用したとしか思えなかった。
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階下でばあさん遍路がご主人と話している。まずどっちへ向かえばいいか尋ねている。
ボクも玄関を出たら東西南北わからんだろうから、その会話から情報を得た。
愛媛へ
コンビニで腹ごしらえをし、松尾峠の遍路道に入る。
足場の狭い場所もあり気が抜けない。草に溜まった朝露が足を濡らす。
「子安地蔵」というお堂があった。後に出会う遍路が台風で足止めを食らってここで2日間滞在した話を聞いた。麓の民家で水をもらって凌いだそうだ。
山中で県境を越えた。愛媛県に入った。
下り道は雨水でV字にえぐられていて歩きづらい。
ドライフルーツいらんか
前方にばあさん遍路が見えた。
ボクを覚えていないようで、初めて会ったという顔をした。
ばあさん遍路は姫路から区切り打ちで来ていて、今日で区切って家に帰るという。
ボクが追い抜くと後ろから「ドライフルーツいらんか?」と声をかけてきた。
足を止めるのも億劫だったので遠慮をするが妙にしつこい。
だんだん気味が悪くなり、早足に距離をとって聞こえないふりをした。
山中では1度も休めなかったので、山里に下りてから適当な場所に腰を下ろした。
ばあさん遍路が追いついて、座り込んだボクに強引にドライフルーツを押し付けて立ち去った。
今日姫路に帰るから荷を軽くしたかったのか、買ったもののマズかったのか。
いずれにしても好意とは思えない。捨てるわけにもいかずしぶしぶザックにしまった。
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南予旅情
これからたどる愛南、宇和島、大洲、内子といった南予地方の地名には、どこか旅情を掻き立てるものがある。
それらの町を巡って松山市に入ることが当面の目標となる。
愛媛県1つ目の札所、40番観自在寺を打ち、少し進むと「エーマックス」という大きなスーパーがあった。
「エーマックスを見つけたら迷わず入れよ」と言ったのはハギモリさんだった。
美味いとり弁当が190円とのことだ。ボクはエーマックスのベンチでとり弁当を食った。
さて、昼もまわったので寝床を決めておきたい。
この先にある1泊1500円の「柏坂」という宿にも興味があるが、さらにその先の「須ノ川キャンプ場」でテント泊しようと思う。
オアシス
ここから国道56号を1本道だから、スコーンと忘我してただ歩くのみ。
進路が北を向いた。
視界に宇和海がひらけた。
「須ノ川キャンプ場」が見えてきた。ボクが希望した以上にキレイなキャンプ場である。
芝は短く刈られ解放感があり、日陰を作る木々が点々と植わっている。
いかにも風通しが良さそうだ。
目の前は「ゆらり内海」というスーパー銭湯で、併設してレストラン兼居酒屋もある。
他に何もない荒野なのに、寝床、風呂、メシ、酒、と遍路に必要なものは全て揃ったオアシスのようなキャンプ場である。
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タビ
家族連れのテントがちらほら見えた。寝床として申し分なし。
受付けでショバ代300円を払い、気に入った場所にテントを張る。
キャンプ場にはイヌやネコが棲みついていた。池にはアヒルもいて賑やかだ。
犬は人懐っこく、ボクのそばにきて座り込んだりする。
前足の先だけが白く、足袋をはいているみたいなのでとっさに「タビ」と呼んだらタタッとこちらへ寄ってくるのだった。
何もしない
タビはBBQをしている家族連れにちょっかいをかけては怒られていた。
風呂に入ってビールを1杯だけ呑んでテントに戻る。
洗濯はオートキャンプ場側にランドリーがあるらしいが今日はもういいや。
池畔のベンチに座って、イヤホンでスティーヴィーワンダーを聴いた。
今この場所、この時間を満喫したかった。
大きく息を吸って吐く。久しぶりに何もしない時間のような気がする。
独り言
改めて「ゆらり内海」へ晩メシを食いに行く。
湯上りの家族連れで賑わっていた。
カウンター席右端に座る。
愛南びやびやカツオ丼を注文した。「びやびやカツオ」というのは陸揚げしてから24時間以内の新鮮なものをそう呼ぶそうだ。
ビールの2杯目と、タコの唐揚げを追加で注文した。
つげ義春の漫画「ほんやら洞のべんさん」にこんなセリフがある。
「ぼくはいま…信濃川で魚を獲っているところなんだな…」
旅とは非日常でありながら、同時に日常にも接続している。
旅の価値にはリアルタイムで実感できないものがある。時間が経ってからゆっくりと味がしてくるみたいに。
けれど旅人は今びやびやに感受しているフィーリングを誰かに伝えたい、独り言でもいいからアウトプットしたい。
そして現状をそのままにつぶやいてしまうのだ、ほとんどため息のように。
「ああ…ボクはいま愛南でひとりビールを呑んでいるんだなあ…」