Contents
朝メシはキューリとお線香
何者かにいきなり戸を開けられて跳び起きた。
朝5時。
なんのことはない、善根宿管理人の溝渕さんである。
今から釣りに行くらしく、自分の畑からキューリを1本もいできて下さった。
洗顔、歯磨き、ザックのパッキング、マメ予防に足指のテーピング、地図の確認と朝の身支度は意外に時間がかかる。
キューリと、昨日3番金泉寺でもらった菓子とで朝メシにしようと箱をあける。
香ばしい匂いとともに出てきたのは菓子ではなく線香だった。
-->
道楽遍路
6番安楽寺を打つ。
菓子だと勘違いしていた線香は作法にのっとり納経前に焚くことにした。
遍路の多くは納経とともに何かしらを祈る。
願いごと、弔い、感謝、懺悔。
そのような背負いごとのないボクは、これまでの人生で出会った人の顔を思い浮かべることにした。
何かを祈るのではなく般若心経を読みながら単純に思い浮かべるだけ。
道楽遍路にはそれが相応しい気がした。
恐怖「へんろころがし」
6番安楽寺の山門は楼上にスペースがあって、遍路が無料で泊まれるようになっているらしい。羅生門みたいで面白い。
7番十楽寺から8番熊谷寺の間に面白い場所があった。
大きなよしずで日光を遮ったほったて小屋で、看板には「お遍路さんにお接待します。お立ち寄り下さい」と書いてある。
よしずの奥から「お遍路さーん、どうぞー…どうぞー…」とかすれた声が漏れてくる。
入るとソファに座ったじいさんとばあさんが出迎えてくれた。
じいさんはボクにイスをすすめ、扇風機をこちらへ向けてくれ、ボクと目を合わせずによく喋った。
「今日は…2日目やな」と予言者めいた口調のじいさん。
そりゃそうだろうと心の中でツッコミを入れてたら、いいペースだと言う。
初日に張り切って10番あたりまで進む人もいるが、序盤で無理してリタイヤする遍路も多いらしいのだ。
遍路の体ができ上がるのは徳島を出るころなのだと。
-->
茹でたトウモロコシをいただきつつ、目下の不安事である12番焼山寺について尋ねてみる。
遍路道にある数々の難所を「へんろころがし」という。
センスある言い回しである。
12番焼山寺は最初に出会う「へんろころがし」であり、最大の難所という人も多い。
順当にいけば明日アタックすることになる。
遍路を経験した卓球選手の四元奈生美さんが6時間、元首相の菅直人さんが8時間かかったとじいさんは言う。
ご両人ともこの接待所を訪れている。
ボクなら間をとって7時間みておけば大丈夫だろうとのこと。
この先の10番切幡寺には333段の階段があるから、麓のうどん屋でザックをあずかってもらうといいと教えてくれた。
一応うどん屋の名前を尋ねたら、やはり目を合わさず宙空を睨む眼光に鋭さが増し、「忘れた」と声をかすらせた。
まだ見ぬ1200km
車道の反対車線を向かいから歩いてくる遍路がいた。
ボクと同年代くらい、脚をひきずって辛そうだ。
ボクらは車道を隔てて話をした。
「こんにちは、脚だいじょうぶですか?」
「昨日結願したんだけど、脚こわしちゃって」
よく日焼けしていて汗だくだった。
このまま1番霊山寺まで歩くという。今日中に着けるのだろうかと思う。
昨日3番金泉寺で出会ったレッグカバーの遍路もそうだが、ボクにとってまだベールの先にある未知の1200kmを彼らは踏破してきたのかと思うと武者震いがした。
9番法輪寺へは煙草畑を抜けるとても気持ちのいい道。
ふと足取りがしっかりしているのに気づく。
昨日難渋したザックの重みがさほど気にならない。
ザックを背負って歩くコツというか、正しい姿勢を体得しつつあるのだろうか。
昨夜の落ち込んだ気分と打って変わり遍路が楽しくなってきた。
12番焼山寺の山塊がよく見渡せる道だった。
-->
うどん屋のご夫婦
じいさんに教えてもらったうどん屋でメシにしようと思う。
店名はわからずともうどん屋はすぐに見つかった。
が、定休日のよう。
メシにはあぶれたが、奥さんからスイカのお接待をいただいた。
ザックを預かってもらって10番切幡寺への参道を上る。
身軽になったので戯れにみやげ物屋なんか冷やかす。
不動明王Tシャツだの般若心経ハットだの仏教アパレルがイカしてて買ってしまいそうになった。
うどん屋に戻ると、今度はご主人がキンキンに冷えたお茶を振る舞ってくれた。
次の11番藤井寺の納経時間には間に合いそうにない。
今日の寝床は善根宿「鴨の湯」にお世話になろう。
遍路へのアンチとリスペクト
吉野川を渡るともう斜陽のまぶしい時間帯。
自販機コーナーで飲み物を飲んで休んでいるとクルマが横付けした。
家族連れが下りてきて自販機の飲み物を物色するんだが、どうも様子がヘンだ。
すぐ横にいるボクを一切視野に入れない、まるでボクが見えていないように振る舞うのである。
4、5歳の子らがボクのほうへチラとも目を向けないのは不自然に思えた。
ボクは中学の一時期を愛媛県で過ごしたことがある。
あるとき担任がこう言った。
「お遍路さん見かけても石投げたりすなよ」
単に遍路をからかったりするなという意味だったのかも知れないが、遍路って石を投げられるような蔑みの対象なのか、と違和感を持ったのを覚えている。
当然四国には遍路アンチもいる。
もしかすると「あの人を見てはいけないよ」とクルマを停車させる前に子供らにクギをさしたのだろうか。
-->
交差点で向かいから右折してくるクルマがふいにスピードを緩めた。
自然、運転席に目がいく。
30代くらいの男性。
彼はハンドルから左手を離し、片手で合掌のポーズを作ってボクに向けていた。
目が合うと会釈をして走り去った。
一瞬のことだったが拝まれたことにボクは狼狽した。
四国には歩き遍路を尊いものとして畏敬の念を持つ人もいる。
この数分の間に、遍路に対する認識の両極端を体験したのかも知れない。
善根宿「鴨の湯」
善根宿「鴨の湯」に着いたら18時をまわっていた。
「鴨の湯」はその名の通り銭湯で、敷地内で善根宿をされているのだ。
風呂に入る前に寝床の状態を確認をしておきたい。
小屋が3棟、うち2棟に先客があり、残す1棟は「女性専用」となっていた。
-->
怪しい同宿人たち
先客は中年男性とじいさんである。
中年男性がいるほうの小屋が2、3人用の広さだったので、努めてフレンドリーなノリで同宿させてもらうことになる旨を伝えるもレスポンスは極めて希薄。
番台でタオルを借りられるか尋ねるもキョトーン。
「タオルって何?」というふうに黙って首をかしげるばかり。
彼は移動するとき脚をひきずっていた。
疲れているのか明らかに会話を拒絶しており、三角形の眼には表情がない。
善根宿には洗濯機もある。
手洗濯しないでいいのは助かる。
洗濯機を回すのは20時をまわりそうだと断りを入れると、薄っすらと吐息を漏らしたように見受けた。それが彼の返答らしかった。
もう1人、じいさんはこの暑いなか小屋の戸を閉めており、薄くあいたすきまから寝転んでパンツ一丁で読書しているのが見えた。
声をかけたが100%PUREシカトされた。
不穏な距離感
鴨の湯は入浴料に遍路割引があるのもありがたいところ。
さっぱりして小屋に戻ると2人ともまだ起きていた。
ボクは小屋には入らず、すぐ横の東屋で荷物の整理をしながら洗濯をした。
蚊が多く、ハッカ油を使う。
効果は絶大で蚊がまったく寄り付かなくなった。
おまけにスースー感もあって涼しい。
中年男性は室内の暑気を逃そうと戸を開け放っていた。
当然蚊の餌食で、体のあちこちをペチペチとやっている。
これは取り入るチャンスと、ハッカ油を差し出してみる。
「いいです」とにべもなく言い、プイと寝転んでしまった。
-->
泣きっ面にゴキ
ボクは鴨の湯の受付に向かった。
女性専用の小屋を使わせてもらうためだ。ボクも疲れてる。リラックスしたい。
何より明日は12番焼山寺の「へんろころがし」なのだ。
21時まで女性の宿泊客が来なければという条件で許可を得た。
洗濯が終わりちょうど21時。誰も来る気配がないので、ザックを女性専用の小屋へ押し込み、エアマットを敷いて寝支度をした。
中年男性の名誉のために言っておくと、彼は一切のコミュニケーションを拒絶していたわけではない。
小屋に置いてあったコピー紙を手に「これ見ましたか?」と手渡してくれるシーンもあったのだ。
そのコピー紙とは善根宿や通夜堂、野宿スポットの一覧であった。
彼は熱心にそれを眺めていた。
エアマットに横になる。
明日は朝イチで11番藤井寺を打ち、早めに12番焼山寺への山越えに臨みたい。
耐蚊用に携帯ベープを胸の上に置き、目を閉じた。
まどろんできたころ何かがおでこに触れた。大声を出して飛び起きる。
ゴキブリがザックの陰に隠れるのが見えた。
ボクは冷静を失った。小屋の外に出ると同宿の2人はすでに消灯していた。
テント内の安堵と子守唄
もう小屋には戻れない。
ボクは閉店した鴨の湯の玄関の灯りを頼りにテントを組み立てた。
気づいたおばさんが何ごとかと出てくる。
事情を説明すると、駐輪場にならテントを張ってもよいという。
虫の侵入する心配のない密閉されたテント内で体を丸めた。
呼吸が落ち着いてき、安堵が訪れた。
仕事終わりにひとっ風呂浴びているおばさんたちの嬌声にエコーがかかり、おちこちにカエルが合唱していた。