高知駅、始発
おととい打ち止めた土佐一宮駅から再スタートである。
高知駅の始発に乗るため5時に起きた。
今朝も今朝とて鼻ちょうちんを大小させるイシイくんを置いて出発。
今日はどこで追いつかれるだろうか。
土曜の早朝で街に人影は少ない。
まだ夜の終わらない酔漢どもが、はりまや橋あたりにうずくまるばかり。
-->
続きから
土佐一宮駅で下車。
道向かいのローソンで朝メシと思ったが、信号が赤で待つのが面倒だった。それに昨日は晩メシ抜きなので、今日はガッツリと定食なんか食いたいなと思い歩き始めた。
途中ダイドーの自販機で「さらっとしぼったオレンジ」を飲んだ。
これは500mlで100円とお得だし、甘すぎないので遍路中によく飲んだ。
お接待のかたち
文殊通あたりで路面電車の通りに出た。
軽トラに乗ったばあさんに挨拶したら、クルマを停めて話しかけてきた。
「えらいなあ、こんな若い子ぉがお遍路まわってると思うと泣けてくるわ」
そう言うと本当にボロボロと泣き始めた。
その先で今度は「お遍路さーん」と声をかけられた。路傍の飲食店のご主人だった。
「どうぞどうぞ」と招き入れられ麦茶を注いでくれた。
ご主人は麦茶を飲むボクの顔を凝視して合掌していた。
本来ならこういうとき、納め札を渡すのが礼儀なのだがボクは納め札を持っていなかった。
ありがとうと言うことしかできず、もしかしたらそれは失礼なのかも知れず、ちょっと情けない気持ちにはなるのだが、納め札を買う気にはなれなかった。
とはいえこうして声をかけてもらい、お接待をして下さるのは実にありがたく、嬉しい気持ちになり、少しだけ背中を押してもらったみたいに足取りが軽くなるのだ。
般若心経のおばさん
遍路道が小山に取り付いた。31番竹林寺の五台山である。
みかん畑の山道を上る。草が茂っていて虫が付きそうだったので、草に触れぬよう体をくねらせて進んだ。
本堂に座り込んで、普段着姿で般若心経を読むおばさんがいた。
会釈するとおばさんも読みながら会釈した。
ボクも本堂で納経するわけだが、互いの声が聞こえるディスタンスだ。
合唱になると気まずいし、テンポがズレても調子が狂う。ボクはおばさんの後を追うように輪唱した。
朱印をもらってトイレを済ませてもおばさんはまだ般若心経を読んでいた。
エンドレスで何度も読んでいるようだった。
そろそろ空腹を覚えるが、下田川沿いのなんにもない田舎道である。
もう少し行けばなにかあるだろう。
-->
武市半平太
「武市半平太旧宅」があった。
ボクは遍路道をそれて旧宅の奥にある瑞山神社へ入った。
大河ドラマ「龍馬伝」でもっともシンパシーを感じたのは武市半平太だった。
静謐にたたずむ武市半平太と妻とみの墓の前でボクは手を合わせた。
武市半平太旧宅前の生け垣で新聞を読むばあさんがいた。
「中入ってもええよ」と言う。
「こちらの方ですか」と尋ねるとばあさんはコクンと首を垂れた。
門から中を覗くと中庭があり、若いお母さんと幼子たちが憩っていた。
もしかして武市半平太の子孫だろうか。
ボクは墓を参じて充分満足だったので、出歯亀根性を出すこともあるまいとおいとました。
それにしても食い物を買える店がない。
腹減った。
空腹
32番禅師峯寺も小山の上にある。
海が近く、昨日行った桂浜も見えた。
そろそろ空腹が限界だ。倒れそうである。今日も酷暑だしこれはマズい。
農作業をしているおばさんに尋ねたら、30分ほど歩けば「大高坂」というメシ屋があるという。
食堂大高坂
昔ながらの大衆食堂かと思っていたら、意外にもドライブインみたいに大きな店だった。
ショーケースから自分でオカズを取って好きに組み合わせるタイプの食堂、欲張って取り過ぎて食い切れなかった。
-->
真夏のインタールード
「大高坂」から先は雰囲気のある古い道。真夏のインタールードに入ったかのような静かで涼しい道だった。
小学生のグループとすれ違った。
「お寺まわってるん?」、「そうやで」
声をかけられてボクが立ち止まると、子供らは警戒するように後ずさった。
「次はどこ?」、「33番雪渓寺かな」
「それって高知市?」、「多分そうちゃう?雪渓寺知らんの?」
「知らん」
少し照れたように声を掠らせて「頑張って」という姿に笑みがこぼれる。
スーパーの駐輪場の自販機で休憩した。
店員のおばさんが一服していた。若いころヤンチャした名残りを、髪型や口調や眼光に感じさせるおばさんだった。
話すと大阪で働いていたことがあると言う。四国ではよくそういう人に会った。
タバコを揉み消し煙を吐きながら「ほな、頑張りや」としかめ面で言い、仕事に戻っていった。
浦戸湾の渡船
間もなく渡船の乗り場だ。無料の公営渡船で浦戸湾を渡るのである。
これもオフィシャルの遍路道なのだ。
向かいから遍路が歩いてくる。ん、向かいから?逆打ちか。
両手にそれぞれ長さの違う杖を突いている。
「もしかして逆打ちですか?」
「そうなんです。やっぱり逆回りは大変ですね。渡船乗るんですよね?次は◯時◯分ですよ」
「渡船乗り場は近いですか?」
「もうすぐですよ。32番禅師峯寺まではどれくらいですか?」
「1時間くらいですよ」
そういった会話をし、互いの健闘を讃えて別れた。
遍路姿なのにやけにオシャレで、本職はセレクトショップの店員ではないかと思った。
渡船は次の便まで40分ほどあった。
生乾きだった洗濯物を取り出して干した。
出港ギリギリでイシイくんが追いついた。
対岸に着くと船頭さんが、「次の雪渓寺まではここまっすぐー…いってんごキロー…」とぶっきらぼうに教えてくれた。
34番種間寺の通夜堂
33番雪渓寺を打つ。
今日の寝床は34番種間寺の通夜堂にしようかと相談する。ハギモリさんが丸印を付けているところだ。
16時過ぎに34番種間寺を打ち、通夜堂の利用を申し出た。
離れのような建物で畳敷きに布団もあり、なんと清潔なシャワーまであった。
さっぱりとして新しいTシャツに着替える。外はまだ明るい。
周辺に酒を買えそうな店はなく、今夜はビールを呑めそうにない。
コカコーラの自販機でアンバサを買って飲みながら、寺の駐車場で野球をして遊ぶ子供らを見ていた。
サーティフォー
寺の真向かいに自販機コーナーがあった。その名も「サーティフォー」。
カップ麺やポテチも売ってたのでそれでメシにした。
というか「サーティフォー」がなかったらビールどころか晩メシも抜きだった。
34番種間寺のまわりには商店がない。
快適な通夜堂で明日の計画を練る。
高知市も過ぎた今、目指すは足摺岬である。
徳島からずっと寄り添っていた国道55号は国道56号になり、宿毛を折り返して愛媛の松山まで続いている。
36番青龍寺の近くに泊まりたい宿があった。
「国民宿舎土佐(閉業)」である。遍路用のドミトリーが2500円と格安なうえ、太平洋ビューの露天風呂があるのだ。
明日は35番清滝寺、36番青龍寺を打って25kmほど。1日の距離としては短いけどここに泊まろうと決まった。
今夜はシラフなので、足摺岬までの日程をシミュレーションしてみる。
1日30km以上を歩いて5日かかりそうだ。
そういえばアンドウさんはどうしているだろう。
この数日、イシイくんと行動を共にしており連絡を取り合えていない。
今夜はどこで夜明かししているのだろう。