「他人事力」と書いて「ひとごとりょく」と読む。
字面は「他力本願」っぽいがそうではない。
自分の事を他人事のように扱ってみれば、無駄な不安や執着から解かれるのではないか、という自己流の精神安定術である。
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新しい何かにチャレンジするとき、ためらう背中をそっと押してくれるのが「他人事力」である。
例えば、脱サラしてカフェを開業したいとする。
マニアックなコーヒー豆を手挽き手点てで提供したい!、洒落た店内、BGMはレコードでかけたい!。
しかし理想と現実が完全に一致することなどないことを知っている大人は躊躇するわけである。
開業からどのくらいで儲けが出始めるのか?、それまでの生活費はいくらあればいい?、最悪閉店するときの負債は?。
情熱が不安に抑え込まれてしまい一念発起できず、月末に振り込まれる給料に甘んじる結果に、というのは日常茶飯のこと。
そんなときこそ「他人事力」である。
カフェを開業しようとしているのは自分ではない、近しい友人に仮託してみる。
どう思うだろうか。
面白そう、やってみれば?、◯◯ならできそう、なんとかなるよ。
おおかたの人はそう思うのではないか。
人は主観の袋小路に迷いがちである。
他人事というのは客観ということでもあるから、存外冷静に正解を導きだしているとも言える。
仮に正解でなくとも他人事であれば無用な不安に捉われにくいので、気持ちがポジティブな方向に向きやすくなる。
そうすればせっかくの情熱が不安に抑え込まれることもないだろう。
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我々凡夫は弱い。
身ひとつで社会に食い込んでいけるものなのか自分を信じきることは難しいし、失敗したときの世間の体裁からも逃れられないはずだ。
だから触らぬ神にタタリなしで、リスクを遠ざけ自己を大切にしてしまう。
その先にあるのが何十年先まで見渡せる平坦でルーティンな生活だとしても。
「他人事力」は自己を雑に扱うことである。
自らをアウェーに放り入れ、リスクの中に投じる力である。
その先にあるのがスリリングでエキサイティングでワガママな人生なのであれば、ボクはそうしたいと考える。
ジョージ秋山の漫画「博愛の人」で、「自分の背中を押してくれるもう一人の自分」というのが出てくるが、「他人事力」もそれに近いものなのだろう。