【29日目】ヘビーだった日!

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※長文記事になります。10〜15分ほどで読めます。

死の影

歩き遍路は苦難の連続、とは言わないまでもそれはコンスタント訪れる。

苦難はいつでも危機に発展する恐れがある。

この日は行く先々で死を思わせるなにか、影のようなものが張りついた1日だった。

午前3時起床、草木も眠る丑三つ時。

洗面所へ向かう廊下の軋みがやけに大きく響く。

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不邪淫

ロの字型の建物の中庭越しに、風呂場の電気が点いているのが見えた。

あの美人の娘さんだろうか。夜更かしして今ごろになったのだろうか。

見えてしまったらそれは不可抗力だ。目ぼけまなこを凝らしたが何も見えなかった。

4時に出発。

暗い山道

外は想像していた以上の真っ暗闇。

片側1車線だった国道が小田の集落を過ぎると急に山間の寂れた道となった。街灯はない。

谷底から見上げる狭い空はわずかも白んでいない。重厚な闇に包まれて自分の手すら見えない。

怖い。暗闇ってこんなに怖いものなのか。文字通り一寸先は闇だ。

小さなライトのスイッチを入れる。

光は闇に吸い込まれてしまい、いくらも照らし出さない。

早く明るくなってくれと何度も空を見上げる。

寝ている蛇を踏みはしないかと、せわしく足元を照らす。

闇には濃淡があり、一番濃い部分に潜む何者かの視線に怯えて歩くこと1時間。

ようやく5時、空が明るんだ。

緊張が緩むと、矢も盾もたまらずコーヒーが飲みたくなった。

しかし山中に自販機などなく、道ばたに座り込み、昨日買った水とパンで朝メシにした。

インチキ道標

農祖峠のうそのとうで妙な看板を見た。

岩屋寺への遍路道は不通。当所を左へ、大宝寺から岩屋寺へとお進み下さい」とある。

45番岩屋寺へはまだ10km以上あり、ルートも多岐にわたる。

これではどの箇所が不通なのかわからない。

仮に右の道が土砂崩れなどしているから、左へ行けというのであれば、そこはもう少し強調しなければ伝わってこない。

逆に明解に伝わるのが44番大宝寺から順にまわれという部分だ。

どうも看板主の恣意しいを感じてしまう。

番号順にまわれという信念の押し付けか、それとも右を行かれると看板主に何かしらの不都合が生じるのか。

何者かによる訂正

さらに写真では見づらいが、看板には「不通」を塗りつぶして「いけます」に訂正、同じく「左」を塗りつぶして「右」と訂正してある。

看板主の主張に賛同しない者の仕業だろう。

看板主とそのアンチ、どちらを信じるか。

なんの材料もないこの状況で深く考えてもせんないこと。

ここは直感を信じればいい。

矢でも鉄砲でもという構えで右の道へ踏み出したら何のことはない、すぐに国道33号へと抜け出るのだった。

ここで国道を左折すれば44番大宝寺に至るのだが、先に45番岩屋寺へ行くボクは国道を横断し、また山中へと入った。

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コーヒーのお接待

中野村という集落で一人のおじさんと出会った。

挨拶を交わすと「コーヒー飲むか」と言い、家から缶コーヒーを持ってきてくれた。

今朝飲みそこねていただけに感激である。

一緒にコーヒーを飲みながら話をした。

ロクブさん

昔、たまたまこの村で行き倒れた人があったという。

おじさんが実際に見たわけではない。

おじさんのお父さんが生まれるもっと前の話、お爺さんがようやく話を知っていたというから、かれこれ100年は前の話だ。

行き倒れたその人のことをおじさんは「ロクブさん」と呼んだ。

遍路なのか乞食なのか判然としない身なりでロクブさんは村内に倒れ、すでにこと切れていた。

どこへ向かっていたのか

目的地に辿り着けず、見知らぬこの山里を終の地としたロクブさん。

そもそも目的地があったかどうかもわからない。施しを求めてこの村に入ってきただけなのかも知れない。

仮に遍路だったなら、ボクと同じように45番岩屋寺を目指していたはずだ。

だとすればボクが先ほど歩いた農祖峠あたりでは彼の命は風前の灯火で、走馬灯を見ながら歩いていたのかも知れない。

今でも花を

どこの誰とも知れぬロクブさんは、ここから少し上がった高台に弔われているらしい。

お盆の時期になると誰ともなく花を供える習慣があり、おじさんは今ちょうどそこの草刈りを終えて下りてきたところだという。

100年も前の行き倒れ人を弔い、今でも墓所の草を刈ってやり花を手向ける。

ボクは感銘を禁じ得なかった。

このご時世にそんな村がありそんな人々がいるのだ。

おそらくこれはどこにも記録されていず、やがて消えゆく逸話だ。拙文ながらこうして記録に残せたのは感慨深い。

聖者として弔われたロクブさん

ところで「ロクブ」とはなにか。

その人の名前だったか、便宜上の呼称か、あるいは無縁仏を意味する方言か。おじさんに聞きそびれた。

調べると、六十六箇所の霊場を巡り、一部ずつ写経を奉納する巡礼者のことで、六十六部の略で「ロクブ」と呼ぶらしい。

正体不明のロクブさんは、聖者として弔われたわけだ。

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けものみち

遍路道が沢筋の山道に入った。

山道の入り口で子供が独り遊びをしていた。

沢に沿って山道を登っていく。

突然正面からまっすぐこちらへ向かってくる獣があった。

獣はボクの正面2mほどのところでピタリと止まった。友好的な視線ではない。

戦慄が走る。TVで見たことがある。こいつはハクビシンだ。

これ以上近づくなら鼻っ面を杖でしばいたろうと思った。

睨み合うこと数秒。ボクの気迫に圧されたかハクビシンは踵を返して引き返していった。

ホッとして辺りを見回すと視界には別のハクビシンが蠢いていた。

ここはハクビシンの山だ、とビビりはしたが一度撤退に追い込んだことは自信になった。

草の壁

先へ進むと葉っぱの大きな草が増えた。葉の裏には虫の気配がした。

気合いで2ヵ所ほど茂みを突破したところで愕然とした。

葉っぱの大きな草が激しく繁茂して草の壁が立ちはだかっていた。道が先細って消えていた。

ボクは危険と判断し、山道の入り口まで引き返した。

別ルートは?

別ルートを探索する。

林道のような道が付いていた。遍路の道標がないかと探していると民家からおじさんの声がした。

「そっちちがうよ」。沢で遊んでいた子の親だろう。

「この上、草がすごくて進めないんですよ。他に道ないですか?」

「岩屋寺行くんやろ。他になくはないけど遠回りになるなあ」

ハクビシンがいたことを伝えると「うん、おるなあ」と事もなげだ。

「チビも上まで行きよるし皆歩いてるよ。何ヵ所か草ぼうぼうのとこあるけど、それ抜けたらなんでもないから」。

ジェットコースターは降りれない

おじさんの言葉を信じるしかない。

草の壁まで上り返す。躊躇していたら心が折れそうだ。

ボクは草の壁に突入した。

虫の1匹、2匹は覚悟した。肉を切らせて骨を断つ。

草の壁を抜けた。幸い虫の付着もない。

ボクはジェットコースターを下りて地に足を付けた気になっていたが、実はまだ始まってもいなかった。

理性を捨てろ

生えている草の種類が変わった。ボクの身長をはるか超える背ぃ高のシュッとした草だ。

これも激しく繁茂し、道は瞬く間に消えた。

ボクは密集した草に八方を囲まれていた。

足下に踏み跡が見えない。進むべき方向がわからない。

こうした場面では理性が邪魔になる。

冷静を保ったとて、時間内に出口を導き出せなければパニックになる恐れがある。

草の迷路

ボクは藪漕ぎを始めた。このときの記憶があまりない。

ただ、草の迷路に挿しこむ光の濃淡を見ていたような気がする。

濃淡から地形をイメージし、道はどう付くだろうかと読んでいたのだろうか。

いや、読むというのは正しくない。このときボクは理性を野生にスイッチして野うさぎのように草の中を移動していただけだった。

踏み固められた山道に抜けて、「まむし注意」の看板を見たときは心底ホッとした。

それにしても今のが正規の遍路道なのだろうか。どこかで道をそれてしまったのか。

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土砂崩れ

一難去ってまた一難。

山道が土砂崩れしていた。

進行方向に向かって左が山、右が谷。崩れは完全に道を塞いでいた。

土砂が道を覆っているのは1mちょっと、飛んで飛べないことはないが重いザックが足かせになる。

選択肢は2つ。

1つはザックを崩れの向こう側へ放り投げること。空身で飛び越えるのはさほど難しくない。リスクはザックがきちんと着地してくれるかどうか。しくじればザックは奈落だ。

もう1つはザックを背負ったまま飛ぶことだが、これはザックにかかるGのリスクがある。

やみくもに飛べば、ザックの重みに引っ張られて自身も奈落である。

崩れた土砂に足をのせてみる。

緩い。崩れて間もないのかサラサラと崩れる。

万一滑落して動けなくなった場合、ボクは救助されるだろうか。

携帯は圏外だった。

ザックと心中

引き返すならあの草の迷路を戻らねばならぬ。前門の虎、後門の狼だ。

ボクはザックと心中することに決めた。ひとつ作戦がある。

ひと息で飛ぶのは無謀だから、途中にワンステップ入れるのだ。

普通にやると崩れに足を取られるので、山側へ横っ飛びするのである。

崩れた斜面をできる限り垂直に踏んで崩れを抑え、向こう側へ飛び切るという寸法だ。

二段構えだから渾身で飛ばなくともよく、ザックにかかるGのコントロール性も高い。

ワイヤーアクションのように

ボクはザックのベルトを締めて体に密着させ、軽く助走を付けて山側へ飛んだ。見事、崩れに垂直にジャストミート。手応えはいい。

緩い土砂がギュッと締まって足場となった。焦るな体はまだ宙にある。

力を抜いて補助的に崩れを蹴る。

ワイヤーアクションのごとく宙を滑空したボクは、しっかりと崩れの向こう側の地面を踏んだ。

倒木が道を塞ぐ

ジェットコースターは終わらない。

今度は倒木だ。かなり太い木で、これまた山道を完全に塞いでいる。

倒木の上の乗り越えるには高さがありすぎる。下は四つん這いになればなんとか通過できる隙間があった。

山側の斜面を迂回するには灌木が密集して、枝を払わなければ通れそうにない。

となると倒木の下をくぐるよりないが、これにはオプションがあった。

邪悪な模様

倒木の真下に、まるまると太った派手で邪悪な模様の芋虫がいたのだ。

くぐり方は2つ。スピード重視か、非接触重視か。

前者ならヤツを踏んでしまう恐れがある。最悪だ。後者ならかがみこんで至近でまじまじと邪悪な模様を眺めることになる。これも最悪だ。

ここは前者の最悪を選ぼう。

息を止めて体を屈め、芋虫を視界に入れず、アゴを突き出し、一気に倒木をくぐった。

背中でザリザリとザックが倒木に擦れる音がした。

くぐり抜けて体を伸ばす、そのまま50mほど走った。

もし踏んでいたとしたら……それをなかったことにするための50mだ。

山中に大きな岩が散見されるようになった。

45番岩屋寺の境内に入ったようだ。

境内に入りベンチにへたり込んだ。憔悴しきって納経どころでない。

大阪から来たという20代の男性遍路と出会った。

原付きでまわっているが、しょっちゅう故障するので困っていると話した。

ようやく納経所に行くと誰もいなかった。

イヤな気分

たいていの納経所にはインターホンがあり、「呼びかけて反応がなければ押して下さい」と貼り紙がしてあることが多い。

機械的に呼び出すのもと思い、とりあえず数回呼びかけてみた。

ほどなくしておばさんが怪訝な顔で現れた。

第一声に「呼び鈴押しました?」と言った。

「押してないです。なんでですか?」、「いや、呼び鈴が壊れたのかと思って」

ムカッときた。不在ならさっさとインターホンを押せよデコ助野郎とでも言うのか。

いずれにせよ、待たせた詫びもなくいきなり「呼び鈴押しました?」はないだろう。まるでこちらが迷惑行為をしたみたいな言い草だ。

札所はありがたいか

札所は霊場であると同時に稼業でもある。

八十八の寺で88の聖者に出会うとは限らない。

遍路が札所の職員さんと接する機会で圧倒的に多いのは、朱印を書いてくれる筆耕ひっこうさんである。

札所の顔ともいえる筆耕さんに対して、多くの遍路は敬意をもって接するはずだ。

「ありがたみ」の換金

聖者として扱われれば悪い気はせず、慣れれば相手を見下してしまうのだろうか。

頼みもしないのに勝手にやってきて、ありがたがって金を置いていくのが遍路なのだろうか。

その金は四国八十八ヶ所の名のもとに大衆が持ち寄る「ありがたみ」だ。

下卑た言い方をするなら「ありがたみ」の換金だ。

アイドルがファンへのイメージを大切にするように、札所は聖域としての「ありがたみ」を大切にすべきだと思う。

正論をぶつつもりはない。これはボク個人の考えである。

宗教とはそういうものだとボクは思う。

呑み屋ビルの1階から5階までの全店をはしごすることに「ありがたみ」を見出す者などいない。

が、少なくともこの頃からボクにとって、札所を巡る行為はそれと同義になりつつあった。

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ヘビーな1日の終わり

裏口から45番岩屋寺に入ったボクは、表参道から出て行く格好となった。

44番大宝寺へ着いたのは、納経時間ぎりぎりの17時前だった。

朝4時に出発したのでかれこれ13時間歩いていることになる。

脚が痛かった。

ようやく辿り着いた「八代生やよい食堂」は久万高原の街外れにぽつんとあった。

今日の宿である。

食堂とは別に敷地内に平屋がいくつかあり、それらが宿泊棟だった。

宿泊棟には風呂と炊事場があるが、洗濯機はなかった。

晩酌

風呂に入って着替え、食堂へ行く。

ご主人が鍋焼きうどんを食っていた。

「ウチは鍋焼きうどんが美味いよ。鍋焼きうどんとごはんにせい」

それも良かったがメニューを見て惹かれたオムライスとビンビールを注文した。

女将さんがいちから作るオムライスが沁みた。

今日はまともなメシにありつけていず、携帯食で乗り切っていたのだ。

店の中に猫が2匹いた。

ご主人は野良猫や野良犬を見つけると拾って帰るクセがあるのだと言った。

そういえば敷地内でたくさんの犬の声がしていた。

犬は専用の犬舎で飼われていて、寂しがらないよう大型のTVを置いてつけっぱなしにしているらしい。

ご主人の話

ご夫婦は以前、松山で食堂をしていたがバブル期に久万高原にモトクロスコースを造ってこちらに移ったという。

そのころの写真を見せてくれた。

モトクロスライダーと一緒に写真に収まるご主人は若々しくアッパーで、ブイブイいわせている風だった。

そのときに得た財で、こうして呑気に食堂と遍路宿を営んでいるという。

現在モトクロスコースは閉鎖、土地は荒れ放題らしい。

キャンプ場でも開いたらどうかと提案すると、安く貸すから兄ちゃんがやれと返してくる。

よく喋るご主人だ。

ご主人は高知出身だと言う。

ボクが大阪からと知ると、当時大阪府知事だった橋下さんを現代の坂本龍馬みたいで好きなのだと言った。

この近くに500円だか1000円だかで泊まれる善根宿があり、遍路が1人棲みついているという話をしてくれた。

興がのったのか、洗濯できないことを残念がるボクに自宅の洗濯機を貸してくれた。

洗濯を終えると雨が降りだした。

明日は松山

洗濯物を干していると、ご主人が蚊避けのベープを持ってきてくれた。

明朝は6時に出発すると伝える。

昼過ぎには松山市街に入るだろう。

イシイくんにメールした。

この先の三坂峠を越えて、47番八坂寺の通夜堂で夜明かししているらしい。

誰もいなかったので全裸になって水浴びもしたという。

明日はイシイくんと酒盛りである。

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