この美しいグラスのハイボールが呑みたくて。
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ここは京都の旧花街「島原」。
かの新撰組POSSEも助平根性も丸出しに通ったらしい。
街の入り口に鎮座するこれは島原大門といい、異世界へ通ずる舞台装置である。
今ではクロネコヤマトのトラックがこれをくぐってAmazonや楽天を各家庭へお届けしている。
「きんせ旅館」は古い旅館を改造したカフェで、ライブやDJイベントもやるというんで興をそそった。
白山湯からの風呂上がりに一杯ひっかけようと、地図を見ながら向かったのに素通りしてた。なにせこの佇まい。玄関先の照明もない。
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玄関に近づいてみてようやく暗がりに営業中の看板を見つけた。
写真では明るく見えるけど実際はかなり暗く、無造作に誰でも入り込まないでというささやかなバリアなのかも知れない。
築250年を越える建物は、大正〜昭和にかけて洋風にリノベーションされている。
きんせ旅館の前身は「揚屋」である。
花街でいうところの「揚屋」とは言わばイベントスペース。「揚屋」で部屋を押さえてそこへ芸妓、舞妓、太夫らを呼び酒宴遊宴を催すのである。
ちなみに芸妓、舞子、太夫らの派遣を行ったのが「置屋」である。
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「島原」というのは正式な地名ではなく、この花街を示す通称である。
室町時代、東洞院通七条に始まった花街が「島原」の前身であるが、お上の都合でその後場所を二転三転させられた。その横暴なやり方に腹を立てた関係者がひと騒動起こしたらしい。
騒動の数年前に長崎で起きた「島原の乱」になぞらえてここを「島原」と呼ぶようになったという説がある。
玄関のささやかなバリアを割って入れば、内側はまっこと異世界。
目を射ることのない照明、もこっと柔らな暖気、音量を絞った音楽、ここを訪れた者たちが残す悲喜交交の念。
肌に残ったサウナのしびれがゆるやかに増幅しはじめてアンビエント汁を垂らす。
あまりの非日常な感覚に、店を出たら何十年も経ってたりして、みたいな浦島太郎的妄想すら湧く。
「きんせ旅館」は1日1組限定で、実際に泊まれる旅館でもある。
泊まって館内をうろついてみたい。