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川之江まで一泊で
気候も芳しくなってきたので愛媛県四国中央市の川之江まで、ソロのチャリ一泊旅である。
高知県大豊町と川之江をつなぐ県道5号線と、大豊町と徳島県三好市をつなぐ町道浦ノ谷線は2018年の台風で崩れて長らく通行止めになっており、ボクは2年前にクルマで抜けようとしてダブルで足止めされた苦い経験を持つ。
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現在は復旧しているのこの二つの道路を見物しつつ、ボクのルーツである川之江にいたるというのが今回の目的。
つまり正攻法でない、高知から徳島経由で愛媛に入るという言わば奇襲のごときルートである。
ウラ国道32号
さて、高知市から大豊町までは国道32号を北上するわけだが、国道嫌いとしてはできるだけ通らぬよう抵抗したい。
そこで「ウラ国道32号」とでも呼ぶべきルートを編み出したのでご覧いただきたい。
まずは土佐山田の新改川に沿って甫喜ヶ峰 を上がることで国道32号の根曳峠を回避した。
国道嫌い
JR繁藤 駅あたりで国道に合流するとボクは歩道を走る。基本的に車道には出ない。
1トン2トンもある鉄の塊が時速60kmで肩先数十センチをかすめるのだ。こちらが何かの拍子でよろめいたらアウトだし、そもそも見知らぬドライバーの注意力など信用できない。
ひとつめに現れる橋を渡り、穴内川の反対側にある林道を行く。
冒頭の地図を拡大してもらうと、JR繁藤駅のすぐ先でルートを示す青い線が途切れている箇所がある。
Googleマップでは道が無いのでやむなくこうなったが、国土地理院の地形図では尾根を回り込んで道が繋がっているので、通り抜けられると踏んだわけだ。
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ピリオドのむこうへ
JRの高架をくぐると、、、
ゲッ、行き止まり。
民家の犬が吠えて、家人が出てこられたのでチャリで通れるかと尋ねてみたら、道は悪いが通れるらしい。
ピリオドの向こうに続いていたのはこんなサグい道。
さあ来い、アンパンマン列車。来んのかい。
こんな光景と出会いたくてボクはチャリに乗っているのかも知れない、知らないけれど。
趣き深いことこの上なし。まだまだ近場にイケてる知らん道ってあるものだなあ。
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JR角茂谷駅付近でまた国道と合流。ここからが難所。
しばらく歩道のない区間となる。
宮本常一の話
が、運良く往来のない間隙をついて車道をやりすごし、板木野洞門の歩道まで取り付いた。
この後はゆとりすとパークおおとよへ上がる横道を抜けたり、大豊トンネルの旧道を抜けたりして国道32号をほぼ通ることなく、大豊までたどり着いた。
ふと、宮本常一「山に生きる人びと」という本に出てくる「秋田のマタギは一度も里へ下りず、山伝いに奈良まで行けた」という話を思い出した。
同著に出てくる不思議な遍路道の話も興味深い。
正規の遍路道を通らずに、人里離れた山道を使って四国八十八ヶ所を巡ることのできる「カッタイ道」という道があったというのだ。
「カッタイ」とは当時のハンセン病の俗語蔑称である。松本清張「砂の器」でもハンセン病で村を追われた親子が四国巡礼に出るくだりがある。カッタイ道はハンセン病患者ができるだけ人と出会わずに霊場を巡ろうとした道なのだ。
ボクのこの国道32号を使わずに大豊まで行くという行為もまた、マタギの話やカッタイ道と根っこは同じマインドなのだと思う。
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「山」というパラレルワールドに生きた人々!宮本常一「山に生きる人びと」! | ガタリ夜話
国道32号から大豊インターに抜けるトンネルも山越えで回避、とまあ我ながら徹底したものである。
大豊まではいいペースで
10時過ぎに大豊のローカルスーパー「末広おおとよ店」に至る。ペースは概ね想定通り。
これから2つの峠越えがあるとは言え、16時には川之江に着くんでないの。
川之江まで48km、それでいてまだ午前ということが気持ちを軽くさせる。
もっともこれは県道5号一本で川之江入りした場合で、今日は途中から町道浦ノ谷線へそれるからもう少し距離は伸びるだろう。
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チャリで通ってみたかった道
高知道を縫うように寄り添う県道5号。高知道をクルマで走っているとチラチラ見え隠れして、いずれチャリで通りたい心をくすぐる道である。
2021年の県道5号線。
当時は台風による土砂崩れで通行止めになっていたが、現在は全線開通している。
町道浦ノ谷線へ
旧立川番所書院あたりで県道5号をそれ、町道浦ノ谷線に入る。
峠を越えれば徳島県三好市だ。
人はおろか通るクルマもなく、怖いくらいの寂しさ。
野生動物と鉢合わせないよう、舌でタンコを鳴らしつつペダルを激軽にしてもっこもっこと上っていく。
これも2021年の写真。
同じく台風被害で町道浦ノ谷線は道路の土台からごっそり持っていかれてひどい有様だった。
現在はこの通り復旧している。見事である。
ズルムケの時を知っているから妙に感動してしまってしばらく立ち尽くしていた。
前代未聞の激坂
徳島県に入ると白川谷川に沿って長い下り坂。
下りは楽でいいんだが、道が目的地から離れる方向を向いていて遠回りになるのが歯痒い。
途中で仏子谷という谷筋の道に入る。これがマブにヤバい激坂だった。
道の取り付きからして「イヤやな」と思わせるいきなりの急勾配だ。
これまでに見た勾配標識の最高は16%だが、ここは体感でそれ以上ある。
しかもそれがブレイクのないハードトランスのごとくゴンゴンゴンと、最後まで全く手を緩めない坂というのは見たことがない。
写真じゃ1ミリも伝わらないな。
這 う這 うの体 で峠を越えて18時、ようやく宿にチェックインとなった。
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遠い記憶の中の酒場
風呂浴びてパリッとしたパンツに穿き替えて、繰り出したのは川之江では老舗の「ろばた ゆき」。
川之江は親父の故郷であり、ボクの出生地でもある。
「ろばた ゆき」は親父の同級生が営んでおられる酒場で、ボクも小学校低学年の時分に親父に連れられてきた記憶がある。
妙に印象深く、めばるの煮付けを食ったことまで鮮明に覚えていて、いずれ再訪せねばならぬ店のひとつだった。
「ろばた ゆき」へ行くと親父に伝えたところ、女将さんに連絡を入れておいてくれるということだった。
石川さんという好事家
で、今回、酒席にお付き合い頂いたのは川之江の酒舗石川友一商店のご主人石川さん。
石川さんの店は「ろばた ゆき」と取引があって女将さんとも懇意だった。予約しておいてくれたのも彼である。
親父と石川さん、双方の手引きで約40年ぶりに「ろばた ゆき」を訪れることになろうとは。因縁を感じずにはおれない。
ちなみにボクと石川さんの接点はというと、うれしいことに当コラム「ガタリ夜話」を読んで下さったこと、さらには大衆酒場Day&Seaまで足を運んで下さったことからのご縁である。
ウィットに富んだ好事家であり、協調性に欠けるボクにチューニングを合わせて下さるおかげで楽しい時間を過ごさせてもらった。
おこぜの刺身
ところで、「ろばた ゆき」にはメニューがない。
漁師から直で仕入れた魚介がガラスケースに並べてあるから、そこから選んで刺身なり焼いてもらうなりおまかせなりで注文するスタイルである。
おこぜの刺身とは初めて食った。これは美味い。
あらは吸い物に。極上。
先走る魂
川之江がボクの人間形成に深く関わった街であるのは間違いない。
今回は自身のルーツとリアルタイムの自身が交錯する旅だった。
うまく表現が見当たらないが、魂が先走って幽体離脱しているような、どこか浮ついたような感覚が常にあった。
疲れるけど、とても面白い。