人生とは夏休みの宿題のようである。
いずれやらにゃならんのなら終業式の晩から取りかかって、さっさと済ませて悠々自適な夏休みを過ごしたらいい。
-->
Contents
夏休みは終わらない
言うは易し、ほんなもん出来たためしがない。
餓鬼供にしてみたら1ヶ月半という時間は半ばネバーエンディングだ。
嫌なことを先送りする余白はたっぷりとあり、時間が目減りする実感に乏しい。
老いは遠い未来
若かりしころは、老いるなぞというのはSF的に遠い未来の話である。
選択肢は無数に枝分かれし可能性が溢れてる。
ボクはガッツリと、そこにあぐらをかいた。
バイトの報酬は洋服とレコードに消え、嫌なことがあれば躊躇なくバイトをブッチぎり、飽きては転々とし、カードの支払いもままならず、女のコのお尻を追いかけていた。
ボクの青春期はこの一文に完結している。
やりたくねぇことやってるひまはねぇ
まわりもだいたいそんな人間ばかりで、のんべんだらりと享楽的に過ごしていた。
ブルーハーツの歌詞で「やりたくねぇことやってるひまはねぇ」というのがある。
ボクはこれを金言にして怠惰を正当化してきた。
-->
ツケを払うということ
20代も半ばになると、そんなボヘミアン生活を離脱し就職するやつが現れる。
正社員というやつだ。
20年くらい前の身のまわりはこうした人生設計が王道で、ボクも遅かれ早かれどこかで正社員になるものと思っていた。
30歳の潮時
ちょうど30歳の節目、正社員ではないものの元々好きだった「地図」に関わる仕事に就いた。
スーツ出勤と営業職、どちらも初めてのこと。
1速ギヤをベタ踏みで頑張ってみた。
が、そんなやり方が続くはずもなく1年でオーバーヒート。
逃げ切ったもん勝ち
人生のツケを払い損ねたボクはおおいに開きなおる。
ここはひとつ踏み倒して、最後まで逃げ切ってやろうと。
-->
「好きなことでメシを食う」という自然回帰
「好きなことでメシを食う」という生き方が勃興する昨今、アリとキリギリスの話は時代錯誤になりつつある。
そもそもサラリーマンという選択肢がなかった時代には、好きなこと、得意なことを生業にするのが当たり前だったのだから、無理のない自然な生き方に回帰しつつあるというだけのこと。
過去の金言は時代の気分に
AIやロボットによる作業の代替がそれを加速させるのだろう。
「好きなことでメシを食う」が「やりたくねぇことやってるひまはねぇ」と同義なのは言うまでもない。
案ずるな、辻褄は合うようになってる
人生ってなんとなく辻褄の合うものなのだ。
ボクは今、文章を書いて辻褄合わせに奮闘してる。
いまからでも遅くない。
夏休みの宿題を完遂したことがない、すべてのボクのようなロクデナシのために。