姫路に遊びに行った話をつらつらと。
おヒマな方はどうぞ。
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姫路といえば28、9歳の頃、大阪からチャリで一泊旅をした思い出がある。
とても寒い日で、加古川あたりで熱っぽくなりフラフラ、雪まで降り出すという厳しい状況だった。
翌朝、「思いつき2号店」というフザけた名前の喫茶店でモーニングを食いながら、100kmの帰路を思うと心身ともに鉛になる思いだった。
それでも途中、神戸の友達と合流して呑みに行き、熱も酒もまわってヨレヨレで大阪まで帰ったのだから20代の体力は底知れない。
文字通り全てを使い果たし、4日ほど寝込んでしまった。
今回の目的はここ、インデアンというカレー屋さん。
かつて京都にあった伝説のシャバカレー屋、インデアン唯一ののれん分け店である。
京都のインデアンは引き戸の玄関にのれんという居酒屋チックな店構えなのにカレー屋というギャップに惹かれて何度か行ったことがある。
やせぎすでいかにも頑固そうな仏頂面の大将で、2人で別々のものを頼むと同じのにしろと言われたり、イスから脚を投げ出している輩などは引っ込めろと怒られたりしていた。
BGMがなく、皿とスプーンのカチカチぶつかる音だけが響く店内で緊張して食べたのを覚えている。
和風ダシが効いているシャバシャバのカレーで、かければメシをすり抜けて下にたまり、それをメシが吸ってぐんぐん美味くなるのだ。
付け合わせが大根ときゅうりの漬物というのも京都インデアンのスタイルである。
初めて行った19、20歳のころはまだ外でカレーを食ったことなんか数えるほどしかなくて、この異形のカレーライスは強烈に印象に残った。
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姫路の街を歩くとやたらと昼酒をやってる店が目立つ。
平日なのにどこも客でいっぱいだ。
ボクも屋台風の店に吸い込まれてスイっと一杯やる。
旅先で昼酒っていいなと、改めて思う。
高知では完全にクルマ生活にシフトしたので、今や切符を買って電車に乗ることが非日常になってしまった。
どこに座ろうか、いや立とうか、ワクワクする。
姫路から山陽電車で10分ちょい、高砂駅で下車。
初めて下りる駅前の旨味を感じる味蕾を持つあなたは幸せ者である。
このジャンルひとつ取っても遊びの資源が尽きることはないからだ。
できれば200歳まで生きて、全てをしゃぶり尽くしてみたい。
高砂まで来たのは梅ヶ枝湯という銭湯に入るため。
釜焚き場からは人の気配がし、ラジオの音声が漏れる。
梅ヶ枝湯と言えばこのヤードコアな裏面であろう。
高度経済成長の申し子とでもいうべきマキシマムの美学。
浴槽はあつ湯とぬる湯のみ。サウナや水風呂はない。
あつ湯に浸かってガッと汗をかいたらカランで冷水を汲んでザバザバ浴びるのを3セットやった。
商店街を通り抜けてみたり。
十字に交差したアーケードは往時の賑わいを偲ばせる。
時が止まったよう、というのはまさにこのこと。
これは元居酒屋だろうか。今も大量のちょうちんに灯が入ってる。
もしかして夜の帳がおりればオープンするんじゃないのか、とキツネにつままれた気分を楽しむ。
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翌日は赤穂の銀波荘で絶景風呂に入って帰ろうと思っていたが天気が芳しくない。
予定を変更して神戸まで出て淡路島経由で高知へ帰ることにした。
途中、うんこでもしよーぜとイオン土山店に立ち寄るとこれが何の因果か、機会があれば行ってみたいと思っていた「赤坂銘食街」まで徒歩数分の場所だった。
残念ながらメインの赤坂ビルは2020年に取り壊されて更地になっている。
が、もうひとつの建物は残っているというので見に行ってきた。
コンプライアンスにとらわれず人の欲望を固めて造ったような悪所感に神経を掻きむしられる。
でも、そう感ずるのはボクらが最後の世代かも。
城に興味のない人間にとって、遊びに行く地方都市として姫路は地味だ。
が、実際にその地を踏み、空気を吸ってみれば新たな地平が次々広がり、近いうちにもう一度行きたくなるから旅は不思議である。
200歳まで醜態をさらす覚悟はあるか。