最近読んで面白かった本。
民俗学者、宮本常一の「山に生きる人びと」。
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川の上流からハシや椀が流れてくるので、どうしたことかと辿ってみたら見知らぬ集落があった。
マタギ、サンカ、杣人、修験者、落人の末裔など、里から隔絶された隠れ里に棲んだ山岳民に関する学術書である。
山中にはそうした人たちだけが通る道があって、秋田のマタギが一度も里へ下りずに山伝いに奈良まで行くことができたという話はめちゃくちゃに興味深い。
町人からすれば完全なパラレルワールドである。
ハンセン病の俗称に「カッタイ」という言葉がある。
松本清張の「砂の器」でモチーフとなったように、昔は四国八十八箇所をまわるハンセン病患者が多かった。
四国の山中には通常の遍路道とは別に、ハンセン病の遍路が通る「カッタイ道」というのがあったらしい。
阿波、伊予、讃岐の3県はそうでもなかったが、土佐だけは殿様が嫌って通常の遍路道を通らせなかったのだとか。
似たような話、ボクが9年前に遍路をしたときにも聞いたことがある。
土佐は気性が荒く遍路が歩きづらいので、土佐を避けた三国巡りをしていた時期があるという話だった。
もしかするとこのカッタイ道の話が転じたのかも知れない。
カッタイ道の概念をサンプリングしたダークなフィクション小説が石井光太の「蛍の森」である。
理性的ではないが狂っているとも言えない根源的な人間性の描写は、どことなく手塚治虫の「きりひと讃歌」を彷彿させる。
そう言えば「きりひと讃歌」も四国の山奥だったな。
四国には今も魔が棲んでる。
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日本の酒造業を大きく発展させることになった樽丸師(たるまるし)というのをご存知か。
奈良の吉野山中を拠点とした山岳職人である。
液体を入れる木製の桶を作る職人のことなのだが、元来杉や檜を薄く割って曲げて作っていたため、おのずとサイズには限界があった。
室町時代になり、一枚板を曲げるのではなく短冊状の板を繋ぎあわせる工法が考案され、これまでとは比べものにならない容量の桶が作れるようになったのだ。
言うなればメガからテラのアップグレード。
これにより酒造はマニュファクチャーから大量生産へシフトしていったのである。
平家の落人の項で出てくる、
「主を持たず、主に強いられず、年貢をおさめず、夫役をつとめず、自由にくらしたいということで、そのためにはどのような不便もいとわなかった」
という一文はまさにアナーキストそのもので、現代で言えば都会を捨て田舎暮らしを志す人の態度との共通点を見出すこともできるのではないか、と思う今日この頃、明日明後日である。
山岳ライフとはイコール上下運動である。
谷から尾根へと一気に駆け上る「姫見坂」と名付けられた急坂がある。
何かに掴まっていなければ転げ落ちてしまいそうなその坂、先に行く女を下から見上げると陰部が丸見えであることから付いた名である。
品はないが、センスだけは抜群にいい根源的な人間性を感じるネーミングセンスである。