大衆酒場Day&Seaを始めてから、新たな知人やお客さんから高知移住の理由を聞かれることが増えた。
自身の頭の整理も含めてザッとおさらいを。
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Contents
移住からもうすぐ3年
大阪から高知へ移住したのが2017年3月。
もうすぐ3年か。
普段は理由を聞かれたらこう答えてる。
移住の4つの理由
✔︎以前から田舎暮らし/移住の願望があった
✔︎お遍路をきっかけにキャンプにハマり、度々高知を訪れるようになった
✔︎高知の人・食・自然にハマった
✔︎年齢とともに都会暮らしに疲れを感じるようになった
だいたいこんな感じ。
それぞれかいつまんでみよう。
田舎暮らし/移住の願望について
田舎移住の願望は10代からあった。
進学、就職、結婚、子育て、という未来に関心を持てなかった。
そんなレールからドロップアウトして、ペシミスティックな隠棲を望んだ。
定年リタイヤ組か変人か
昔は移住先といえば沖縄や長野が主流で、定年リタイヤ組が古民家で自家菜園、あるいはヒッピー臭い変人がするイメージだった。
現在ではどの地方都市も人口減少の対策で移住促進をやってるし、TV番組で田舎暮らしを扱うことが増えたり、田舎暮らしする有名人が増えたりもした。
昔に比べて移住先の選択肢も増え、移住がポップな時代になったというのは大きい。
風に吹かれて
ボクの時代は就職氷河期。
もとより就職に関心がなかったこともあって、バイトや契約社員を転々として糊口をしのいできた。
自慢じゃないが就職は一度もしたことのない純潔のフリーターである。
土地に縛られる必要もないのに大阪に住み続けて妙な重厚感だけはある大人になるのは噴飯ものだ。
ボクのような愚か者は風来坊のように風に吹かれてフットワーク軽く生きるのが潔い。
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お遍路でキャンプにハマる
移住に大きく傾斜するきっかけになったのがお遍路。
2011年の夏、野宿しながら歩いて巡礼し、見事キャンプにハマったのである。
夏休みは四国でキャンプ
以降、移住する2017まで、夏は毎年四国のどこかでキャンプをしていた。
徳島や愛媛にも訪れたが、特に高知に魅力を感じるようになる。
とりわけ県西南の土佐清水市の旧爪白キャンプ場(現スノーピーク土佐清水)を拠点に、四万十市、大月町によく通った。
野菜と魚が安くて美味い!
キャンプ中は大月町にある道の駅ふれあいパーク大月の産直市で食材を買っていて、野菜や魚の美味いこと。
でまた安い。
これにはガツンとやられた。
ネイティブとの交流
四万十市にある「よさこい」という居酒屋(現在は閉業)に寄ったとき。
居合わせたネイティブの方々に誘われるままテーブルを同席し、あれ食えこれ食えとしこたまに呑んだことがある。
新米30kgドーン!
そのなかに地元企業の会長さんで米も作っている方がいて、新米を送ってもらう約束をした。
酒席の社交辞令でなく、秋にドーンと30kg送られてきたのには少なからず感激した。
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人、食、自然の魅力
これが誠に安直ながら、移住先が高知に定まった瞬間である。
人、食、自然の3点において、強烈に引き込まれてしまったのだ。
もしかするとそれは最大瞬間風速だったのかもしれないが、移住を踏み切るトリガーとして十分であった。
この先10年も大阪に住み続けることと、この先10年を高知で住んでみることを天秤にかけてみたら前者が霞んで見えたのである。
カミさんはどやのん?
願望の萌芽から移住を決断するまでの流れはあくまでボクの話。
ボクらは夫婦で移住したわけで、カミさんの意向はどうだったのか?
カミさんはボク以上にキャンプと高知にハマり、高知ならと移住にも同意してくれたのである。
これはほんと幸運という他ない。
まとめ
てな感じで高知移住の理由をまとめてみた。
なんというか移住という選択肢がポップになり、かっこいい音楽やTシャツを選ぶのと同じようにかっこいい場所を選んで住むという感覚である。
ノリ一発の刹那ではあるけれど、人生って雑にほうり投げてなんぼじゃなかろうか。
最後にボクの好きな言葉で締めくくりたい。
良いことをするのは退屈、悪いことをするのは良いことよ
-マルコム・マクラーレンの祖母-