ランニングするときはいつも音楽を聴いてる。
ビートに歩幅を合わせてみたり、頭と両手を振って小踊りしてみたりとこれが見事に気持ちいい。
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走りながら考えること
ラン中の頭はたいてい空っぽだけど、想念が下りてくれば自然考え事をすることもある。
今日はこんなことを考えた。
走りながら思わず叫んでしまうほどに気持ちをブーストさせる音楽ってどんなんだろう。
そういうところから若かりし頃音楽に求めた破壊力ついてなど、とりとめもなく思いを巡らせたのである。
音楽は時間芸術
音楽は時間を埋めてゆく芸術だから、人間が空間を移動するランニングとは基本的に相性はいいはずである。
刻々と視界が変化するなかで鳴らすロックやダンスミュージックには心の跳ねる思いがする。
アップテンポで一定のビートを刻む音楽を集めてドライブミュージックとするのはそういうことだろう。
進んでる感じのする音楽
バッファロードーターの山本ムーグが、なにがしかのツアーサポートでアメリカの砂漠をクルマで移動中に車内でノイをかけたらしい。
そのとき「ノイのハンマービートってなんか進んでる感じするよね」と言ったのが象徴的である。
ランに合う音楽とは
ランニングのBGMについては常に仮説と検証を繰り返しており、料理人が季節や天候によって塩加減をコントロールするように、その日のコンディションによって選曲を変えている。
ボクの音楽原体験がテクノやハウスにあるので、そうした四つ打ちや気持ちのアガりやすいドラムンベースなどが鉄板であるが、晴れて気温も高く光量の多い日にはレゲエやスカをチョイスすることも多い。
まさかのジュディマリ!
今日はジュディアンドマリーをチョイスした。
Apple Musicにあったベスト盤である。
ジュディアンドマリーはテレビなどで耳にすることこそあれ、自発的に聴いたのは初めてである。
ファンでなくとも一聴して彼女だとわかるボーカルは存在感があるし耳に心地よい。
これで「そばかす」とかきたら俄然アガるな、とか思いつつ闇を手刀で切りながら五台山のトンネルを疾走した。
ポップスにこだわったビートパンク
あくまでもポップスとして売っているからなのか、ボーカルに比べてギターやベースの音域は極端に抑えられてあるが、ジュディアンドマリーの音楽がビートパンク系だと初めて知った。
それこそラモーンズやピストルズを彷彿させるスリーコードを基調とした曲が多い。
急遽ジュディマリにラモーンズを繋げるも違和感は全くなかった。
「ほうほうそうか」なんてオッサンみたく(オッサンやけど)納得しつつも、ジュディマリもラモーンズもランにおけるブーストという意味ではいささか物足りなかった。
YouTubeに求めるのは破壊力
ボクは泥酔するとYouTubeで音楽を聴いて号泣する悪癖がある。
そのとき求めるのは破壊力、これ一択である。
そして逆行催眠の旅へ
オーバードーズしたアルコールトリップを凌駕するほどの精神の破壊を求めると何が起こるか。
それは逆行催眠のごとく、30代の自分へ20代の自分へと己を辿る旅路となるのだ。
ゲンズブールに匹敵する芸術的行動?
蛇足を。
この状態になったボクは千鳥足でフラフラとトイレへ向かうとき「オーシャンゼリゼ」をラップ調で歌うようにしているのだが、それはフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」をレゲエ調で歌ったセルジュ・ゲンズブールにも通じる芸術的行動だというのは半分冗談、半分本気である。
逆行催眠時に再生する動画のセットリストをお見せしたいところだがそれはまたの機会に。
とにかくその曲に接した若き日のボクの脳内はどういう状態だったのだろうかというほどに、数十年を経てナイスミドルとなったボクの精神を掻きむしるのである。
凡ゆる快楽と縁遠かった若き日
当時のボクは酒もほとんど呑まないし、タバコも吸わない。
いかなる天然モノも吸引しないし、合成物質を含ませた切手を舌に置くこともない。
男女の性だってたしなみの域を出ない。
当たり前のことだが、若い頃に吸収したものは刷り込みのようにそれが正義であり美である。
持論では「若い頃」とは25歳くらいまでを指す。
さて、あと5日で引っ越しである。
新しいランニングコースを考えないとな。