2011年、38歳の夏にボクは遍路をした。
四国八十八ヶ所を全部歩いてまわって43日かかった。
43連休を快く取らせる会社などないから無職になった。
別に当時の生活がやさぐれていたわけではない。
さしたる問題のない日々を過ごしていた。
が、さしたる問題のないことになぜかボクは不満を持った。
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食いたいときに食え、呑みたいときに呑め、好きなモノが買え、趣味に費やす時間が持て、それらをすべからく清算する収入を得、そして沈滞していた。
来週も来年も10年後も、そこにいるのではないかという茫漠とした焦燥。
定点観測みたいなルーティンを壊したい衝動。
そこでいっちょ直線を横からバットで殴ってひん曲げてみるかと自己暴動を起こし、自分に向かって「浮世を離れろ」と叫んだわけである。
むろん不安がないわけではない。
行くのはいいが、帰ってからどうする問題である。
社会的生命力の極めて貧弱なボクにとってノーフューチャーな決断だった。
が、愚行は承知のうえ。カシコであるがゆえに後から後悔するのはもっと愚かだ。
浮世離れの地を四国に求めたのには理由がある。
ボク自身が愛媛出身であること、父方の祖父母宅が愛媛にあったということ。
「お遍路」を知ったのも祖父母の口からだった。
祖父母はかなり高齢になってからクルマで遍路を始めていた。
その話は度々聞かされていて、近くの札所から回ってると言っていた。
四国人たる者一度くらいは、という気概のようにも見えた。
そして祖父が亡くなった。
「じいさん死んでしもたからもう遍路はやめじゃ。あんたも大きいなったらいっぺん行きや」
祖母はそう言いながら、祖父愛用のメシ茶碗を地面に叩きつけた。
故人の食器を割って棺にいれるのはこの土地の風習らしい。
不思議なことに何度叩きつけようと茶碗は割れず、結局そのまま棺に入れられるわけだが、珍事に沸く親戚一同をよそにボクは祖母の言葉をそっと懐に仕舞いこんだ。
「あんたも大きいなったら行きや」
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「路を遍く」と書いて「遍路」。
四国四県の津々浦々に散らばる八十八の寺を巡る。
昨今はクルマやバスツアーで回る方も多いが、歩きなら40日前後の旅となる。
菅笠かぶって俯いて、ザックと業を背負って黙して歩くこと1200km。
「南無大師遍照金剛」とバックプリントされた羽織りは死装束の意であり、影の濃い結構デカダンなアクティビティでなんである。
遍路は基本的に宗教活動であるが、無信心なボクはその方面にとらわれることはなかった。
それより関心があったのは見知らぬ土地を40日近くも散歩するという超ド級の酔狂さや、日の出と日の入り以外何にも縛られることのない野良犬のように自由な時間だった。
かくして2011年7月、ボクは社会と接続していたプラグを抜いた。
梅雨の明けやらぬ大阪駅から徳島行きのバスに乗り、太古より連綿と続く遍路の末席に座ったのである。
因果とはかくも罪深い。
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遍路を終えてから、その体験を紀行文にしたためていたが29日目で頓挫している原稿が手元にある。
その未完の原稿を再編集・追記するのがこの「おへんろサマーオブラブ♡」のシリーズになる。
もともと本にしたいという強い欲求があった。
今回、電子書籍や有料記事にすることも考えたけれど、やはり多くの方に読んでもらいたくひとまずブログ記事として発表することとした。
我こそはという編集者の方おられれば、一冊にまとめて頂ければ嬉しい。
遍路を志半ばで世を去った祖父母への手向けにもなろう。
遍路をまわり終えて帰宅したのが2011/8/21。
そして今回、原稿の再編集に着手したのが2021/8/21というささやかな偶然も重なった。
10年という月日の重みをヒシと感じつつ、人生のやり残しをひとつ片付けてしまおうと思う。