2017年、3/1に大阪から高知へ移住してそろそろ半年がたつ。
ここらで頭の整理も兼ねて、移住までの経緯をまとめておきたい。
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今回は移住の発心から、移住先に高知を選んだ理由までを書く。
写真なしで字ばっかりですが、トイレ長丁場のお供にでも。
Contents
人生をドロップアウトして人外境に隠れ棲み、仙人よろしく霞を食う
「いつかは田舎で暮らしたい」という気持ちの萌芽は、漠然とであるが10代の頃からあったように思う。
人生をドロップアウトして人外境に隠れ棲むだとか、仙人よろしく霞を食う、といったライフスタイルに強い憧れがあったのだ。
ただしこの頃は何かイヤなことがあった時の、思考の逃げ場としての「田舎暮らし」という選択肢だったように思う。
元来、中央志向は持ちあわせていない。
東京に住みたいと思ったことはないし、20代の頃、実家のある奈良を出て大阪で独り暮らしをする時も、当時人気のあった堀江や船場といった華やかなエリアに住むことに興味を持てなかった。
実際、居を構えたのはそういった繁華街からワンクッションおいた大阪市西成区だった。
不便を被ってでも、中央から離れゆく自らの志向
そして30代、結婚しカミさんとの新居に選んだのは、大阪市の孤島と呼ばれる此花区。
此花区の大部分は鉄道駅がないため、生活の足はチャリかバスである。
不便を被ってでも、中央から離れゆく自らの志向を揶揄して「次は田舎暮らしやな」なぞと笑っていたこの頃はまだジョークであった。
これが2008年。
お遍路が移住への大きなきっかけとなる
時は流れて2011年。
ひょんなことからボクは四国八十八箇所を歩いて巡ることになる。
この旅には色んなテーマがあった。そのひとつに「住みたくなるような街をさがす」というのがあった。
旅のなかで見つけた徳島の神山町や愛媛の愛南町を気に入り、実際にカミさんと現地へ足を運んだりもした。
その流れでキャンプにハマり、高知の四万十市、土佐清水市、大月町に強烈に惹きつけられるようになる。
これが2013年。
大阪のタウン誌でまさかの高知特集!
大阪のローカルタウン誌「Meets」で突然高知特集が組まれたのもこの頃。
大阪のタウン誌なのに、なんと表紙は柏島。
Meetsでライターをしている友人に尋ねると「スタッフの間で高知が流行っている」との事だった。
なかでも市吉 秀一さんという方は高知へ移住されたらしく、特集にも登場しておられた。
とりわけボクは土佐清水市に興味を持った。
理由はそこに「リトルオーサカ」があったからだ。
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四国の果てで見つけた「リトルオーサカ」
まず見つけたのは、BunBun The MCさんというレゲエDeeJayの方が、2013年に大阪から土佐清水市に移住されたというブログ記事。
ジャークチキンのお店「One Drop Jerk Chicken」をオープンしたというご本人のブログも見つけ、以降ネットで情報を追いかけることになる。
高知へ移住してそこで生活するというロールモデルが欲しかったのだ。
それを皮切りに同じ土佐清水市の「いぶりカリィ」や四万十市の「クアパパ」といったお店も大阪からの移住者であると知る。
「いぶりカリィ」のオープンには先述の市吉 秀一さんも関わっていた。
土佐清水市には大阪の海遊館の名物ジンベエザメを飼育する施設もある。
四国の左下の果てにこのようなリトルオーサカとでもいうべきコミュニティがあることに大いに好奇心をそそられた。
四万十での酒席がターニングポイント
そして2014年夏のバカンスで高知を訪れ、Meetsの高知特集で見た四万十市にある居酒屋「よさこい」で吞んでいた時のこと。
「サーフィンで来たんか?」、「USJのハリーポッターは行ったか?」
店の大将も居合わせた客も、一見客のボクらにバンバン話しかけてきてくれる。
着ていたTシャツをその場で脱いでプレゼントしてくれる高知人
しまいには地元企業の会長さんの席に呼ばれて一緒に呑むはめになり、めちゃくちゃに呑まされた。
会長が着ていたTシャツやら、店内に飾ってあったバカでかいオバケカボチャなど、意味不明なお土産にもらい大阪に帰ったのだった。
会長さんとはその後も、ご自身の田んぼで獲れたお米を送ってくださったりして、お付き合いさせていただいている。
高知へ移住すると決意したのはこの時である。
幸運だったのは、パートナーであるカミさんも、その決意に異論がなかったことだ。
「高知移住」という一種のトレンドめいた潮流
同じ2014年、Yahoo!ニュースで有名ブロガーのイケダハヤトさんが東京から高知へ移住したと知り衝撃を受ける。
日々アップされるリアルな高知生活を、ボクは貪るように読んだのである。
なんというかMeetsが高知特集を組んだあたりから、「高知移住」という一種のトレンドめいた潮流のようなものはあったと思う。
黒潮にのって八丈島に流されるように、その潮流にのってボクも高知へたどり着いたのである。
というわけでおぼろげな移住欲求がしっかりと目標になったのが2014年。
それからルビコン川を渡る2017年までの、悶々とした3年間についてはまた別の機会に。