二日酔いにどん兵衛天そばがよく効く。
即効アミノ酸チャージである。
皆さんも安売りのときに買ってストックしておくことをオススメする。
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ちなみに天ぷらは先のせ派?それともあとのせ派?
調べればどん兵衛が「あとのせサクサク」を提唱したのが90年代。
ケッしゃらくせーと、ボクはずっと天ぷらの上から湯をかけるゴリゴリの先のせ派だった。
ほぼ天かすなんだしグズグズにしたほうが美味いだろうと思ってた。
先ごろ試しに湯を注いだあとからそっと天ぷらをのっけてみたところ、「ハッ!イケる!」となったのである。
今では湯を注いだあと天ぷらは袋のままフタの上で温めて、食う直前に入れるというあとのせ派っぷりだ。
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実はこれまで後のせを試したことは一度もなかった。
つまり先のせ、あとのせ両方を試したうえで判断していたのではなく、先のせのほうが美味いと思い込んでいただけである。
「あとのせ」という新しい提案に思考停止して、「しゃらくせー」と根拠なき批判を展開し、従来の食べ方に固執していただけなのだ。
「刮目(かつもく)」という言葉がある。
“目をこすってよく見ること、注意して見ること”といった意味で、ボクはどん兵衛に対して長らく刮目してこなかったというわけだ。
刮目は今ならアップデートと言い換えてもよい。
従来の価値観をそのまま未来に持ち越せない時代と知りつつも、肝心の頭ん中がアップデートできてないこと、けっこうあるのでは?
どん兵衛の天ぷらに限らず、自分にとってこれまで不都合や不快がないから新しい価値に関心を持たない、認めないという思考はちょっとヤバい。
まあ全ての物事において先のせ、あとのせ両方を試すことはできないけれど、そうした余地を持っておくことは重要である。
目は2つあるから物が立体に見えるのであって、価値観も複数持ち合わせないと物事を平面的にしか捉えることができない。
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価値の変化がメチャクチャ速かったものにYoutubeがある。
3年くらい前までは音楽関連の動画をみるくらいだった。
ユーチューバーについても扱いが軽いというか、ちょっとイタい人種みたいな印象だった。
当初は素人がタレントっぽく話すことに拒否反応が出たり、憧れの職業はユーチューバーと子供らが言い出して日本の将来を憂えるオトナもいたり。
それがこの1〜2年でYoutubeはTVと同等かそれ以上の価値を持ち、ユーチューバーが市民権を得るまでなったのは万人の認めるところである。
最近はエンタメ系にしろ勉強系にしろ、Youtubeを見ない日はない。
変わったところでは、中古盤屋でレコードを物色しながらYoutubeで試聴するという使い方もできる。
世の中の様々な価値が更新されるなかで、定期的に自身の未アップデート箇所をチェックするのは必須といえる。
どん兵衛天そばには「たまごポケット」なる凹みがあるが、これはいる派?いらない派?
ボクはいらない派。
試してみたけど、つゆがぬるくなるし、天ぷらの置き場にも困るし、黄身が割れたらつゆの味がボケるんですよね。