「隠れキリシタン」がずっと気になってる。
モヤモヤするというか。
2018年に世界文化遺産に登録されてから耳にする機会も増え、長年のモヤモヤがくすぶりはじめた。
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年末年始に熊本と大分を巡ってたので、天草の「崎津集落」にも立ち寄ってきた。
漁村という日本の原風景の中に教会の十字架が突っ立つ「隠れキリシタン」の集落である。
と、ボクらは「隠れキリシタン」と習ったが、今は「潜伏キリシタン」というらしい。
まずこれが1stモヤ(※ひとつめのモヤモヤ)。
何?潜伏って?
「隠れ」という言葉にネガティブなニュアンスがあるから?
と思ったけどどうやら違うみたい。
ざっくり説明を。
まず江戸時代にキリスト教に対する禁教令があった。
キリスト信仰はNGだよと。
この禁教令を敷いた理由というのが2ndモヤなんだが、これは徳川幕府として「キリシタン大名×宣教師」のコラボが力を持つのを抑えこみたい事情がある。
200年以上におよぶ禁教令が明治に入って解かれたあと、キリスト教に復帰した人を「潜伏キリシタン」、復帰しなかった人を「隠れキリシタン」と呼び分けるようになったんだそうだ。
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「隠れ」も今は「かくれ」とひらがな表記が公式である。
「カクレ」とカタカナにすればまたニュアンスが変わるらしく、また新たなモヤを生むからとりあえず伏せておく。
本稿では現行の「潜伏キリシタン」で統一する。
で、3rdモヤ。
潜伏キリシタン関連遺産が熊本の天草と長崎の島原に集中してるのはなんで?
これは江戸時代の鎖国期に南蛮貿易のために唯一開かれていたのが長崎だったため、他の地域に比べて宣教師と接する機会が多いという距離的理由による。
そして4thモヤ。
ご存じ「踏み絵」である。
信者の疑いのある者にキリストの絵を踏ませる「踏み絵」はインパクトが強いので覚えている方も多かろう。
踏まなければ役人から酷いめに遭わされたという。
信仰だって我が身あってこそ。
パクられてエグられるくらいならエイヤと踏んで自由になって、信仰に専念すればいいとボクなんかは思うのだが、お上が模造したエセのキリスト像ですら踏むのをためらうほどの偶像崇拝というのは興味深い。
中世、近世の宗教行動って、今よりもっとレジャーっぽいイメージがあるけどなあ。
お伊勢参りや四国遍路もそういう側面が強かったはず。
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最後、5thモヤは潜伏キリシタンカルチャーとでも言おうか、ゴリゴリのアウトサイダーアートである。
仏教の観音様を聖母マリアに見立てる「マリア観音」ってぶっ飛んでない?
台座から外すと十字架が飛び出すマリア観音坐像、背中にキリスト像を刻んだ阿弥陀如来像、
隠しデザインで十字架が刻まれた刀のツバ、貝殻の模様を聖母マリアに見立てるなど。
仏教に専念していると見せかけて役人の目をごまかし、堂々とキリスト教を信仰する潜伏キリシタンのしたたかさよ。
極め付けは光を反射させると壁にキリスト像が浮かび上がる仕掛け鏡だ。
ここまでくればもうカルチャーといって差し支えないのでは?
誤解を恐れずいえば、抑圧を楽しんじゃってる。
これって何かに似てる、あ、変形学生服だ。
隠しポケットのミニチャックが付いたズボンや、パッと見普通の学ランなのに内側は超発色のいいヤンキーパープルの裏地に刺繍が入ってたり、これも校則という抑圧を楽しむヤンキーカルチャーである。
潜伏キリシタンたちが遺した高次なアート作品から世界文化遺産に触れるのは面白い視点だと思う。
おまけ話を一席。
漁村につきものなのがこうした猫の通り道のような細路地。
この路地を崎津集落では「トーヤ」と呼ぶ。
徳島の日和佐では同じような漁村の細路地を「アワイ」と呼ぶ。
これ発音が難しくて普通に「アワイ」と言っても通じない。
「イ」は「イ」と「エ」の中間くらいの発音である。
Speak After Me!Awa Yeah!