自慢にもならないが、ボクは稀代のコミュ障である。
小学校の通知簿では「人の輪に入っていけないところがある」と書かれるのが常であった。
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3人以上の呑み会NG
大人になってからも3人以上の呑み会は基本NGだし、友人と企画したクラブイベントでは人の多さにバッド入ってしまい、自分の出番を待たずに帰ったこともある。
会話が続かない
およそ会話というものが苦手で、何か話しかけられても「そうですね」とか「へえ」とかしか言えないので会話が続かない。
あとはせいぜい相手の言葉をオウム返しすることしかできない体たらくなのだ。
アッパーな人に憧れて
若い頃はこれが強烈なコンプレックスで、何度も矯正を試みたがついぞ治らなかった。
アッパーなガイに育ててくれなかった親を恨んだ。
無口の矜持
その反面、無口ということに矜持も持っていた。
何でもいいから喋りまくってその場を取り繕うのだけはしたくなかった。
コミュ障に開き直った今は、話すべきことがあれば話すし、なければ堂々と沈黙することにしている。
ある日、「竜馬がゆく」を読んでいて
とはいえ完全に正当化できているわけではなくコンプレックスには変わりない。
と、先日来読み進めている司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にこんな一節があったので引用したい。
能弁な男で、二、三さしさわりのない話題を佐佐木は出した。竜馬はむっつりきいていたが、多少失望した。
(頭は、よくない)
佐佐木の話しぶりはすらすらと言葉は弾むのだが、独創性がない。一つの概念をしゃべるとき、その内容か表現に独創性がなければ男子は沈黙しているべきだと竜馬は思っている。そのつもりでいままで自分を律してきた。
出典:竜馬がゆく(八) 司馬遼太郎 文春文庫
コンプレックスとプライド表裏一体の個性
風呂で湯に浸かりながら何度読み返したことか。
そりゃそうだ、ボクのコンプレックスとプライド表裏一体の個性を承認されたことは一度もなかったのだから。
竜馬の承認をもらえたような心持ち
高知へ移住したからにはいっぺん読んどくか、と軽い気持ちで手を出した「竜馬がゆく」。
もし読んでいなければ、ボクのこの個性は生涯承認されることはなかったのかもしれない。
「おまんはそのままでえい」
高知人として、ますます竜馬への情が深まる春の日である。